2019年9月30日月曜日

トロッコ問題は小学生には難しすぎる。

死ぬのは5人か、1人か…授業で「トロッコ問題」 岩国の小中学校が保護者に謝罪毎日新聞2019年9月29日

 不安にさせちゃいけないっていうなら、原爆についても、朝鮮人虐殺にもついても小学生に語ってはいけないことになるが、そうした物語が成長の上でとても大事になってくることはある。
 不安にさせるからじゃなくて、トロッコ問題は小学生には難しすぎる。
 まず、これっ!という正解がない。
 また、トロッコ問題に解こうとするときの倫理学説が小学生にはちょっとむずかしすぎるんじゃないか?
 だって大人だって知らんひとおおいぞ?

トロッコ問題が倫理葛藤問題として成立するのは、「人を誰一人としても殺してはいけない」という一般的な命題が共有されているのが前提。それを飛ばしてこの問題を問うことは、「少数者の犠牲で済んで良かった」という価値判断を導いてしまう
とは限らない、というのが、トロッコ問題なんだよねえ。
Would you push the Fat Man off the Bridge?

トロッコ問題は、功利主義と義務論でかなり応答が異なる。
行為功利主義だと、登場人物の属性を考えないとして、一人を犠牲にして、5人を救う。これに対して義務論者は、たとえ、結果として、5人が犠牲になっても、無辜の一人の人を犠牲にすることはできない。

The simple answer is that Kantianism does not allow for the pushing of the lever; you shouldn’t kill one to save five. This is because the decision to kill another rational being is always immoral in the eyes of Kantian ethicist. You’re utilizing the lone worker’s life as a means to an end, violating his autonomy as an individual. This is unacceptable.
義務論では、結果が重要ではなく、個人を道具として使わない、というのが重要だから。
トロッコ問題を始めにつかったといわれるPhilippa Footは、この問題を通じて、誰かの権利を侵害しない消極的権利と積極的に救済する積極的権利、積極的にすることと、しないがおきるに任せること、悪いことは意図せず、善いことを意図してことをなしたが、副作用として悪いことが起きてしまっても、その行為は正当化されるという副作用の原理などについて、概念化し、そうした概念で中絶の問題について取り組んでいったわけですね。

ーー大人にとってもこうした論文を解読するのは難しいと思うのに、小学生にはちょっと無理じゃね、といったところ。


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