黒人野球のヒーローたち―「ニグロ・リーグ」の興亡 (中公新書) 佐山 和夫1947年にJackie Robinson(UCLA出身)が初めて黒人としてメジャーリーグでプレーしたのがエポックメイキングに語られるが、上記も同じような価値があると思う。いま行われているゴルフのマスターズで初めて黒人選手が許されたのは1975年のLee Elderだが、1975年まで許されなかったのに衝撃を受ける。
— H.S. Kim (@xcvbnm67890) November 14, 2020
黒人だけのプロ野球リーグ(ニグロ・リーグ)に関しては、NHKのドキュメント番組を通じて断片的な知識しかなかったが、本作は劣悪な環境下と人種差別の壁に苛まれた選手らが如何にして野球に取り組んだかを現地取材や関係者の証言を元に交えて綴っており、初めて知った事も多く非常に勉強になった。 読んでいて意外だったのは、巡業と称して3度も日本にチームが来日した事
日米野球
昭和(戦前) 1927年(昭和2年) アフリカ系アメリカ人選手を中心とするニグロリーグが混成チーム、フィラデルフィアの「ロイヤル・ジャイアンツ」を結成して来日。三田倶楽部、同志社大学、関西大学などと24試合を行い、23勝0敗1分で日本チームを圧倒した[2]。
1931年(昭和6年) 読売新聞社・正力松太郎社長がMLB選抜を招き、初めて読売新聞社主催により開催された。鉄人ルー・ゲーリッグや剛腕レフティ・グローブら大物選手擁するMLB選抜を相手に、日本は初めてオールスターチームを結成して挑むも、17戦全敗に終わった[2]。
1932年(昭和7年) ニグロリーグ混成チームの「ロイヤル・ジャイアンツ」が再来日。関西、中国、九州地方まで遠征して試合を行った。広島専売が社会人クラブチームとして初勝利、日本チームとして11年ぶりの勝利を挙げた。ジャイアンツの24戦23勝1敗[3]。
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