2021年7月24日土曜日

政治などどうでもいい、というアスリートがいてもいい。

 

五輪憲章には、
 オリンピック ・ ムーブメントにおけるスポーツ団体は、 スポーツが社会の枠組みの中で営まれることを理解し、 政治的に中立でなければならない。 


とあるけど、国別に開催し、国単位で競技を行う以上政治的中立はありえないし、ある特殊な状況にある国際社会、そして、ある特殊な国内事情をもつ社会で行われる以上大会は、政治的意味合いを帯びざるえない。

 そして、例えば、残虐独裁国家の開催する大会に参加するとすれば、その参加自体政治的意味合いを持つように、開催に反対の国民が多い中開催される大会に参加することは政治的意味合いを持たざる得ない。

 五輪は不可避的に政治的意味合いを帯びる以上、選手たちが参加すること自体が政治的意味合いを持ってくる。

 「スポーツをすることは人権の 1 つである」というけれど、それと同様に、政治的意味合いをもつ大会に参加する選手に政治的意見表明する自由も一つの人権であるからして、政治的表明も認めるべきという主張も不合理な話ではない。(もっとも、国別対抗でやりつつ、政治的表明を無制限に認めれば混沌としたものになるのではないか、という思いもある)

 また、そうした政治的意味合いをもった大会に出場する選手に政治的意見の表明を求めるのもわからなくはない。

 ただ、政治とは関係なく、自分の能力に挑戦する機会を与えてくれる場所として大会を利用している選手の権利も認めるべきだ、と私は思うんだなああ。





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