基本的に教員は不要な時代になります。ビデオ配信かAIで学習内容は事足りるので。物事の問題を何でも教育に帰結する風潮によって機能不全になっている学校システム自体を解体すべきです。予算の無駄。 https://t.co/GFHqmcZDAi— ワタセユウヤ (@yuyawatase) 2019年10月17日
学習のための教員は不要になるかもしれんなあ。
おっさんになっていまでもいい先生だったなあ、と思うのは、児童、生徒の長所を認めてくれた先生だな。そういった先生はいていいなあ。
少ないけどなああ。おれの小学校の先生は、成績が悪い子でも、ちゃんと良いところをみて、評価してたなああ。
若い頃傾倒していた野口晴哉氏は、小学校くらいしかでてなくても、教養は身についたが、外国語と友達を作るには学校行ったほうがよかった、と言っていた。
外国語だって、別に学校で学ぶのが効率的かどうかはわからないが、学習という点から言えば、 教師は、ある科目に興味をもたせることができれば、それで十分と私は思っている。あとは自分で勉強する。
あと学校が貴重なのはやっぱ友達だね。学校にはいじめもあるが友達もできる。おっさんになって久しぶりに小学校の同級生に会うと、男でも女でも身内的な親近感があって、やっぱ愉しいもんな。
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