2020年4月28日火曜日

朝日新聞まで緊急事態では安易に強制手段をとることに与するとは・・・

いまだ死者ゼロの国 隔離を強制、厳しすぎだと思ったが
有料記事 新型コロナウイルス

ハノイ=宋光祐

2020年4月28日



日本から見れば、症状のない人まで強制的に隔離する方法は一党支配の社会主義国ならではの「力業」かもしれない。ベトナムで暮らす外国人の一人の生活者としては、国が「有事」と判断すればすぐにそこまでできる体制に不安も感じる。

 しかし、民主主義国家の英国やフランス、米国でも罰金を伴う外出の制限や行動の制約が3月半ばから広がってきた現実をみると、このウイルスの前では「主義」の違いはもはや問題にならないとも思う。

 新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐためには、一定期間、人と人との接触を断つことが最も有効なのは認めるしかない。

ベトナムと台湾が参考になるのは、極めて早い時期にコロナの脅威を認識して、徹底した対処をしたこと。

日本では政府も、そして大手マスコミも早い段階では、コロナ危機を過小評価していた。

たしかに、安全のために自由を制限することはありえる。ぶっちゃけた話、交通ルールだって安全のための自由の制限である。自由も絶対無制約ではなく、制限をうけることはありうる。しかし、個人の自由は最大限尊重されるのが原則であって必要以上に自由を制限していけないのが憲法の原則だろう。


 ”欧米”も罰金課しているから、えやないか、という発想もおかしい。”欧米”が自分たちが常日頃標榜する主義主張を踏みにじってしまった可能性も考えるべき。実際、欧米での抗議運動は、憲法で守られた自由を侵害するな、という主張である。

 不安な状況で、勝手気ままにやっている奴らをみると、強制手段を使いたくなる。しかし、それを最後まで踏みとどまらせて、権力者に安易に市民の生活に介入させないことも立憲主義の要請というべきであろう。

 常日頃リベラル的論調のメディアなら、各国が自由に対して過酷な制限を加えているなかで、コロナによる死亡もある程度抑え、なおかつ、個人の自由を守るために日本はよく頑張っている、もう少し頑張ろう、と檄を飛ばしてもいいくらいである。

 ・・・・いずれにせよ、安全、自由、経済保証 このバランスをうまく取りながら、国民が声を上げていくしかない。
それが民主主義というものだろう。

 

 

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