ほぼ毎日うなずき合ってるあの界隈からツイッター経由で下賜されて来る「怒るな」だったり「責めるな。自分のことをしろ」だったりの助言は、翻訳すれば「おまえら下層民が怒りを抑圧して下向いてあきらめて生きてる方が、オレら一級市民には過ごしやすいんでよろしくな」ってことだぞ。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) May 16, 2020
この30〜40年の間に、日本人が失った(あるいは「表明することを許されなくなった」)感情があるのだとすれば、それはなによりも「怒り」だ。怒りには大きな副作用があるし、社会の前提を破壊しかねないでもある。でも、怒りを抑圧した社会は、それはそれで、うすら寒いディストピアだと思う。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) May 16, 2020
社会人になりたての頃、昔の人はケンカっぱやいんだなあ、私なんか抑圧されてんなあと思ってオジさんたちを見ていたので、この感覚わかる。
— suzuky (@suzuky) May 16, 2020
社会人になりたてのころ気分次第で怒鳴りまくる上司がいたので、怒りと憎しみでは何も解決しないのではないかな、と思った覚えがある。
体育会系コーチの怒りなど、昭和のおっさんの悪いところを体現しているだけで、有害無益。
愛のムチなどと言って怒っていた。あれがいいというなら変態だな。
不正に対する憤怒の心は大事。明王さんのように怒ってみせるのもいい。だが、副作用が強いゆえに警戒するのは社会が進歩したのだと思うよ、わたしは。
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