2020年5月18日月曜日

When morality is lost, there are legal punishments



 対照的に日本政府は、首相をはじめ、主要な閣僚、与党、野党、そして都道府県知事と、それぞれ比較的早い時点からCOVID-19の危険性を認識していた。たしかに一斉休校の要請は唐突だったのかもしれない。しかし、その決断も、またその数日前から行われていた大規模な集会に対する自粛要請も、重要かつ賢明な判断だったといえる。初期の段階で検査をクラスターに集中させたことも理解できる。もっとも、もっと早い段階で政府当局は検査対象を広げ、クラスター外における感染状況を把握すべきだったと考えるところではあるが。また基本的な姿勢として、政府は専門家からの意見に注意を払った。このことは一般の国民に対し一貫して明確なメッセージを伝える効果を持ったと考えられる。これは他のアジア諸国やアンゲラ・メルケル首相の率いるドイツにも共通していた点だと思われる。

ウイルスの危険性はいまだに未知の側面が大きいから、なんとも言えないが、ウイルスの危険性(1)+ウイルスの未知の側面(2) + 新コロが社会、経済的に日本に対して、(3)、そして世界に対して(4)与える影響について、安倍政権は過小評価していたと思うし、いまでも過小評価ではないか、と俺は思うんだな。

はやいところオリンピック中止して、日本経済復活に集中してほしい。


 私は今回の日本政府の政策は、個人の自由への介入をけん制するリベラルな価値観へのコミットメントのみによるものではないと捉えている。その源流は明治時代にまでさかのぼり、近代の習慣として「説得による誘導」が国家と社会との関係性において重要な意味を持ったことに端を発している。

個人の自由に対する介入への警戒というのはたしかにあるし、

大道廢、有仁義。智惠出、有大僞。    六親不和、有孝慈。國家昬亂、有忠臣。

When the Tao is lost, there is goodness.
When goodness is lost, there is morality.
When morality is lost, there is ritual.
Ritual is the husk of true faith,
the beginning of chaos.

道が廃れると道徳、道徳が廃れる法的罰則・・・みたいな思想が東洋の一部にはある。

また、日本の市民社会というのは、政府と対峙し、命令ー服従 説得ー受容、というモデルにはあてはまりにくいんじゃないかな?

市民社会のほうがわりに自律的に動いていて、市民社会と政府で、どっちが音頭をとっているのかわからないところがある。

10万円問題や、検察問題では、音頭をとったのは市民社会の方。

安倍ちゃんが決定的に欠けているのは、国民に先立って、ていねいに説得して、説明しようとしていないこと。

結果的に良い政策を採用したとしても、わかりやすい言葉で現状を説明し、その対策を先頭にたって説明して、責任を果たさなければ、安倍ちゃんの成果とはいえない。国民や野党にせっつかれていやいややったとしかみえない。











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