わたしは、民主主義ですら、究極的には国民の生活を向上するための道具だと思っていますよ。ただ、米国でも支持者をホワイトハウスのイベントに呼ぶことは珍しくなく、学術会議に至っては、そもそも学術会議の方が選挙されておらず、民主的に選ばれたのは政府の方だから、話は逆だろう。 https://t.co/LEm4Ra7MPz
— buvery (@buvery) December 28, 2020
民主主義の問題というより、要するに、イイコトしても悪いことはチャラにならない、悪いことをしてもいいことをしたことはチャラにならない、 ということだろう。
仮に、安倍ちゃんの外交を評価するとしても、だからといって、森友問題や桜問題がチャラになるわけではない。森友問題、桜問題があるからといって、安倍ちゃんの外交の成果がチャラになるわけでもない。
どちらか一方を全面的に評価して、他方をないものにすることはできない。
味方についてはいいところだけ全面的に評価しやすい。敵については悪いところだけ全面的に評価しやすいー党派的発想の問題点である。
ヒットラーが子犬を助けたら・・・・それはそれで評価。しかし、だからといって、ヒットラーがいい人とはならない。ヒットラーは悪い人だけど、子犬を助けたことは評価されてよい。
0 件のコメント:
コメントを投稿