ケノーシャでの最初の事件。運転席の床にナイフがあったと書かれている。 https://t.co/3kfeEavO39
— buvery (@buvery) August 27, 2020
なんで警官が銃を抜いているのに、子供の乗っている車のドアを開けようとしたのか、が正しい疑問でしょう。車の床にはナイフが見つかっています。あなたは拳銃を突きつけられている時に、それを放置して、『今から子供とドライブでもしようか』という人なんですか。 https://t.co/iYYgJKvyvD
— buvery (@buvery) August 27, 2020
日本人の感覚からすると警官に後ろから 銃向けられているのに動き回っている、というのがまず、わからないところではある。もっとも、車の中にナイフがあったというが、警官は容疑者がそれを取ろうとしたのを目視して発砲したとは限らない。しかし、ドア開けてこごんでいたら、「銃でこちらを撃つのではないか」と不安に思うのはアメリカという文脈では不合理とはいえない。ただ、7発ってのはちょっと撃ちすぎやろう。
民主党は、今回の事件をシステミック・レイシズム、仕組み全体としての人種差別、という枠組みで整理するが、本質は、システミック・バイオレンスだろう。日本から見れば米国人が殺し合いをしているだけのことだ。暴力を統制するのには、長い地道な努力と自律が必要だが、その覚悟はあるのか。 https://t.co/VEKZV3966w
— buvery (@buvery) August 27, 2020
警官がこいつヤバイことしそう、と思って発砲してしまうのも、警官は容疑者に銃で殺られる率も高いからであり、 根底には暴力社会がある。しかし、
suzukyさんがリツイート
「白人至上主義者が公然と銃を振り回してても撃たれないけど、黒人は丸腰でも撃たれる」というのは実感としてあるんだろうな
— ATちゃん (@atkyoudan) August 27, 2020
それに加えて、やはり、歴史的、構造的差別の問題もある。
やれ、権利章典だ、へったくれだ、といっても、こうした現実をみないでアメリカの真似すりゃいいってもんじゃないですね。
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