あなたが引用RTしている映像はプロ・チョイス(中絶賛成派)の運動家などではなく、ミッシェル・ウルフというコメディアンのコントで、それは中絶をめぐる争いを茶化したジョークですよ。 https://t.co/rQNvintBM1
— 町山智浩 (@TomoMachi) December 2, 2021
Supreme Court Justices Suggest Sweeping Pullback on Abortion
In an argument that lasted almost two hours, all six Republican-appointed justices indicated they would let states start banning abortion far earlier than the court’s precedents now allow. Under a 1992 ruling, states can’t impose significant obstacles before fetal viability, which the court suggested was around 23 or 24 weeks at the time.
昔昔に読んだ本で議論を思い返してみると、
Moral Relativity Reprint Editionby David B. Wong
日本の刑法でもー堕胎罪ー胎児は保護されるが、人と同程度に保護されるわけではないーー胎児を殺しても殺人罪にはならない。
リベラルは、倫理的に保護される人格は、意識、痛みを感じる能力、推論、自分の動機で活動する能力、意思疎通能力、自己意識がないといけない、と。胎児にはこうした能力がかけるから倫理的に保護に値する主体ではないのだ、と。
対して保守は、倫理的に保護されるべき人格は、潜在的にこうした能力をもっていればいいのだ、と。
保守に言わせれば、リベラルの基準だと、重度の感覚障害、知的障害者は倫理的保護に値しないことになり、殺していいことになるが、それはまずいだろう、と。
対して、リベラルは、普通の大人は十全に保護に値し、胎児も感覚が鋭敏になるほど成長したらある程度保護に値するなど、十全に保護に値するものと部分的に保護に値するものとの区別をする。初期の段階の胎児は保護にあたいしない、と。そして、仮に値する段階になったしても、母体の利益との利益衡量が必要だ、と。
例えば、花子は、太郎と花子の同意なしにチューブで繋がれて、太郎の命は花子に依存しているとする。どちらも生きる権利はあるが、しかし、この絆が花子にとって負担であるとき、花子にチューブをつけ続ける義務はなかろう、と。母体がとくに危険にさらされていない場合でも女性が中絶する権利がある所以である、と。
リベラルの議論も完全に論破できない、保守の議論も完全には間違っていない・・・両説なりたつんだ、と。
・・・歴史的にはキリスト教で妊娠して、なんかの兆候があると、それが神から命を授かった徴だ、みたいな感じで、その神様から授かった命を粗末にするのは神への冒涜みたいな議論だったような・・・これは記憶が定かではないけど
女性の権利も大事。ある程度成長した胎児の権利も大事・・・・ まあ、とにかく、説として、どっちもある程度理がある状況でアメリカではそれが、社会を分断する大きな政治的対立点として常に取り上げられる問題。
・・・・日本でそうした政治状況がなくてよかったなああ、などと心のどこかで感じている。
0 件のコメント:
コメントを投稿