「欧州の人々にとっては、物事に対して「疑念」をもつことがデフォルトです。何事もまず疑う。それは彼らの文化的な思考力であり、生存のための知恵でもあるのです」
— 中公新書ラクレ (@chuko_laclef) September 2, 2020
ヤマザキマリ『たちどまって考える』
何でも疑うイタリア人の夫に言われた、日本のこれっておかしくない?https://t.co/NAyagZv7r0
実際、イタリアでの感染者数がうなぎ上りになり始めたときも、一見、人間的で愛情に溢れているイタリアの家族のあり方を危惧しました。高齢者との同居率が低くないあの国で、孫たちは家に帰ってくるとすぐに祖父母にハグをして、キスをする。人としての温かさが表れた習慣ではあるけれど、この状況ではそれが裏目に出てしまうのではないかという予感がありました。
感染でまっさきに疑うべきなのに、疑わないなんて〇〇じゃないの?
習慣に従順な文化なのかねええ?
それには彼なりの根拠があります。日本に来た際、何度か満員電車に乗っているからです。
「あんな過密な状態が放置されているのに、ウイルスが蔓延しないはずがない」
しゃべらないのもそうだが、自粛期間は空いていたんだ比較的。そんな想像もつかないの?
想定して確認して・・って、地球規模の発想だと・・・おまえそんくらい考えるだろう?
論理的に考える習慣がないのか、イタリアでは?
イタリアすごい!とあれだけ自慢していた日本人のお兄ちゃんがいたが、そのイタリアで感染爆発おきちゃって・・・・あんたらの科学的推論能力とか行動力とか・・・・ピザとパスタはうまいんだろうけどさあ・・
文春も文春だよ・・・・なんだよこの記事?
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