2021年9月13日月曜日

「多様性」「多文化」は言わないで、「差別のない社会へ」だけでよい。

 

立民・枝野氏、衆院選に向け「差別のない社会」発表 

 多様性や多文化を持ち出すと話が混乱する。多様な習慣を同等に認めて良いのか、また、認めなければならないのか? 認めなければならいとすれば、例えば、

学校の挨拶で「おはようございます」「Good morning」「早上好」「 안녕하세요(アンニョンハセヨ)」・・・・・挨拶だけ授業が終わってしまう。そこまでやる気なのか?

従来通りの差別をしないであれば、肌の色が違うからといっていじめない、女性だからといって男性と異なる定年規定は間違っている、キリスト教徒だからといって就職拒否するのは間違っている・・・などなど・・・わりに常識的な線で処理ができる。

多数の人と違っている人も他の人と同様に尊重するという意味なら、個人の尊重でいい。



0 件のコメント:

コメントを投稿