「動物の権利」はくだらない話みたいだが、晩年のデリダのテーマだった。「人間が種を絶滅させるのは罪だ」という環境原理主義者は、論理的には自殺するしかない。https://t.co/I6ic7SOrLM
— 池田信夫 (@ikedanob) January 30, 2022
デリダの本は読んでないけど、
彼は「動物が人間の欲求のために畜群として大量飼育されながらも絶滅される運命にある、そのような邪悪なやり口によって科せられるジェノサイド的責め苦が存在するのです」とのべて、ベンサムの「問題は彼らが[殺されるとき]話せるかどうかではなく、苦痛を感じるかどうかだ」という言葉を引用する。
菜食主義者からすれば痛みが問題なのであって、
Given that plants do not have pain receptors, nerves, or a brain, they do not feel pain as we members of the animal kingdom understand it. Uprooting a carrot or trimming a hedge is not a form of botanical torture, and you can bite into that apple without worry.
植物に痛みがない以上、植物を食べるのは問題ない、ということになる。
権利の問題というより、善悪の問題として、功利主義者にとっては、痛み、苦しみの縮小、快、喜びの増大が善、その反対が悪なわけで、それを動物の種によって差別するのはーー黒人差別が人種差別と呼ばれるようにーSpeciesismだと言って非難される。
仮に自分が生きるために他者、他の動物を犠牲にせざる得ず、それは正当化されるとしても、その犠牲は最小限にすべきである、という話であって、自殺するのが一番いい、という話には全然ならない。
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