政府が国費を支出してまで(税金を使えば非難轟々なのは容易に予想がつく)中止させる必要はないと判断した、あるいは、埼玉県知事が訴訟覚悟で会場を使わせない判断をするまでもないと判断したから、中止すれば大損するK-1側に判断を委ねた結果、K-1イベントが決行されたということは忘れてはいけない。 https://t.co/YvSmyTQ9ZG
— 山口貴士 aka無駄に感じが悪いヤマベン (@otakulawyer) March 22, 2020
K1で集団感染発生したら安倍と埼玉県知事のせいだ、と暗に言っているようにもとれるね。
、日本という共同体のためには、自己の利益を最大限にという資本主義的な論理は抑止される場合がおおい。
あいまいな指示を与えて、国民に責任を負わせる。西洋人が思うような、命令ー服従図式ではない。
共同体、世間様に対する責任感から、国民の側が責任をもち、負担を背負い、甘んじて自分を犠牲にしていく。それが美徳として評価もされ、違反すれば、非難したくもなる。倫理的にはそう評価されるが、しかし、現代社会では、特別な自己犠牲を強いるわけにもいくまい。
特定な人々に特別な損失を強いたときには国家が補償するのが憲法的価値観。
K1開催については議論が湧き上がろう。
大規模イベント中止を強制すべきか、どうか、するとしたら、その補償制度はどうするか、早急に議論して、決めていくべきである。
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