日本共産党第6回全国協議会 出典: フリー百科事典そもそも日本共産党が暴力革命を放棄したから、それに幻滅して革命路線を続けた人々が「新左翼」と呼ばれた、という歴史的事実はどうなってるんだね、八代くん。 https://t.co/D0RwoV7KFL
— 町山智浩 (@TomoMachi) September 13, 2021
日本共産党 第6回全国協議会(にほんきょうさんとう だい6かいぜんこくきょうぎかい)は、1955年7月27~29日に行われた、日本共産党がそれまでの中国革命に影響を受けた「農村から都市を包囲する」式の武装闘争方針の放棄を決議した会議である日本共産党が戦後から再開した「武装闘争」路線を信奉する急進的な学生党員は新指導部への不信・不満を募らせ、のちの共産主義者同盟結成など新左翼や過激派らの誕生へと向かう種がこの六全協によって蒔かれた。
これらは暴力革命必然論に基づく武装闘争方針であり、この方針に基づき警察襲撃事件が相次いだ
1958年7月の第7回党大会では、国際派であった宮本を書記長に選出するとともに、『51年綱領』を「一つの重要な歴史的な役割を果たした」と評価した上で、正式に廃止した[8][2]。一方で1962年に日本共産党党中央委員会が発行した綱領集では、51年綱領の全文が収録されていた[12](増刷の過程で収録されなくなり、1970年に発行した綱領集では収録されなくなった)。
警察・公安警察は、これらの見直しの中で「(革命方式が)平和的となるか非平和的となるかは、結局敵の出方による」とする『敵の出方論』の方針が出されており、日本共産党は現在も暴力革命を手段として放棄していないと見解を示している
現在においても、公安調査庁は日本共産党を破壊活動防止法に基づき監視対象としているし[11]、衆議院議員鈴木貴子から提出された質問主意書について、日本国政府(第3次安倍内閣)も2016年3月22日の閣議で、「日本国政府としては(日本)共産党が日本国内で暴力主義的破壊活動を行った疑いがあるものと認識している」「(日本共産党は)現在においても、破壊活動防止法に基づく調査対象団体である」とする答弁書を決定している[15]
六 平成元年二月十八日、第百十四回国会、衆議院予算委員会において、石山政府委員が述べられている、日本共産党のいわゆる「敵の出方論」、並びに、同委員会に於ける不破委員の「政権についたときにその共産党の入った政権なるがゆえに従わないという勢力が出た場合、そういう勢力がさまざまな暴挙に出た場合、それに対して黙っているわけにはいかない、そういうのは力をもってでも取り締まるのが当たり前だ、これは憲法に基づく政府の当然の権利でしょう。そういうことについて我々は綱領に明記しているわけです。」に対する政府の見解を求める。
御存じのとおり、政権確立した後に不穏分子が反乱的な行動に出て、これを鎮圧するというのは、たとえどなたの政権であろうとも当然に行われるべき治安維持活動でございます。ところが敵の出方論という中には、党の文献等を拝見しておりますると、簡単に申しますと、三つの出方がございます。一つは、民主主義の政権ができる前にこれを抑えようという形で、不穏分子をたたきつけてやろうという問題であります。それから第二には、民主主義政権は一応確立された後に、その不満分子が反乱を起こす場合。三番目は、委員御指摘のような事態であります
・・・・まあ、複雑な経緯があるんだねええ。
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