「性自認は女性」と説明の利用客、女性トイレに侵入容疑で書類送検(朝日新聞デジタル)
— 松浦大悟⭐️『LGBTの不都合な真実』発売中! (@GOGOdai5) January 6, 2022
このように未手術のトランス女性が女子トイレや女湯を利用しているケースはあるのです。
私がAbemaTVで言ったことは間違いではないのです。
社会を知らないのは活動家のほうなのです。 https://t.co/OGpGzZWi5Z
これからいろいろ議論されることなんだろうとは思う。
anatomy does not determine gender
いくつか記事を読んで思しろかった。
生物的性も男と女という別個の枠が別々にあって、生まれた生物がきれいに2つに分かれる、というわけではなく、性別というのは一つの連続体であって、生物的には、それを遺伝子やら外性器やら内性器やらの有無で区別していくわけだが、世間一般では、生まれたときのちんこの有無で男女を決めて、それに基づいて、その社会固有の男性的役割、女性的役割を洗脳し、叩き込んでいくのだが、その型はめからずれちゃう人たちがいるわけだね。
おれにいわせると、社会的性別もすごく男っぽい表現やら役割からすごく女性っぽい表現やら役割があって、これもまた現実には連続体。そうすると、現実には、
1)生物的性別の連続体
2)社会的性別の連続体
があって、多く人たち、外性器の有無で既成の社会的役割を付与されて別に問題がないが、それが当てはまらない人もいる、と。
生物的性別というのも恣意的でいいかというとそうではないだろうけど、2つではなく、3つだ、やれ5つだという学者もいるらしい。
社会的性別のほうは社会的構築物であって、時代や地域によって異なり、かなり流動的なもの。これも男女と対の場合が多いかもしれんが、文化人類的には男女以外の他の性別を認めていた文化もあったんじゃないかな?
それはともかく、いままでは男性固有の表現や役割、女性固有の表現や役割があったが、男女平等の思想からこれからはそうしたものは減っていくだろう。それほど流動的なわけだよ。
で、おもしろいのは、1)のレベルの性別が一義必然的に2)のレベルの性別を決定するわけではない、ということ。ちんこもってても、社会的にりっぱに女性の役割を演じることもできるし、女性の表現をすることもできる。
で、問題にされているのは、ちんこをもった女性自認の人が女性のトイレや更衣室にはいっていいかどうか?というのは、女性トイレや更衣室にはちんこがない人たちが入っていたして、その人達のみが入ることが許される社会がある程度継続してきたからね。
ちんこのない人間→女性トイレ、女性更衣室 という連結関係もしかし、社会的な構築物なんだよね。
だから、これから変わる可能性も十分あるわけだよね。どのように変わっていくかは、社会の構成員の人たちが決めていくしかない。
女性トイレや更衣室からちんこのついた人間を排除する論理に、女装して覗きをするやつがいるだろう、そうした犯罪から身を守りたいのだ、というのがある。
論者の中には、トランスはすべてそうした覗き魔だ、みたいに言う人もいるが、それは明らかに違う。
トランスの人たちはそうした性的欲望はないにせよ、、女装変態から身を守るために、トランスの人たちも入ってほしくない、という議論がある。
ただ、これについては過剰防衛だ、という反論もありえる。日本人で暴力を振るう人がいたからといってすべての日本人を排除するのがまちがっているように、ちんこのある女装人間に変態がいたからと言って、すべてのちんこつきで女装しているひとたちを排除するのは過剰な排斥だ、という反論は成り立ちうる。
もっといろんな議論がでたほうがいいとは思うんだけど、いわゆるLGBTではない女性たちの声があまりにも少ない、とおれは思うんだなああ。
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