「春は揚げ物」とか「春はあげぽよ」とかで笑えるのは古文という共通の知識があるからで、社会や国家をまとまらせるためには神話や偉人伝とかの「物語」を共有し、古文漢文とかで「過去との絆」を保つことが重要だと思います
— カエル先生・高橋宏和 (@hirokatz) January 18, 2022
古文漢文不要という人たちは、どんな社会や国を作りたいと思うのでしょうか
ナショナリズムとしての古文漢文か。それなら、本当は古事記、本居宣長、みたいになるべきなのかな。
— buvery (@buvery) January 19, 2022
たしかに、国をまとめるのに神話や物語の共有は有用。中国や韓国は日本に戦って勝ったという神話で国をまとめている。
しかし、それが古文漢文である必要は全く無い。
おれなんか古文漢文なんかぜーーーん読めないもんねええ。学生時代も古文漢文なんて試験前に教科書ガイドみておいたら最低の合格点とれたんでびっくりした程度。いまでも現代文がついていないと古文漢文は読めない。古文漢文が不要とは云わないが、おれの人生でなんかの役にたっているかというと・・・皆無でないにせよ、ほとんど役にたっていない。
(学校で教える必要がないか、というと・・・数ⅡBや数Ⅲを全員に必修科目にするか、選択科目にするかと同じような議論はあってもいいとは思うが教科の候補から外す必要もない・・・後に無駄でも若いときにならっておいたほうがいいことはうんとある。)
この前パラッと読んだ本で「むずかしい天皇制 」というのがあって、それなんかによると、日本の場合は天皇がそういう国をまとめる役割を果たすのかもしれないね。与党も野党も権力的諍いを超越してともにとりあえずは、認める存在。有用性と危険性両方あるわけだが、国民統合の象徴としていまのところうまく行っている。
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