2022年10月27日木曜日

情動論(3)

情動論(1)

次はcompassionをとりあげてみたいと思う。


”compassion” ってのは、「同情」だけど、この方のいうように、日本語で、ぴったりくる単語はないかなあ。

 英語では、おれなんか、”the Compassionate Buddha”を連想する。いわばブッタとセットみたいなもので、だから、日本語だと「慈悲心」とか「慈しむ」みたいな感じかもしれないが、同情で類語をみると、「憐れに思う」とか、「思いやる」みたいのが近いのかなあ。ラザラスは、

The personal meaning of compassion is that one understands that another human being, like oneself, is suffering and deserves help. 

(PRp125)

 自分と同じような人間が苦しんでおり手助けが必要だと理解し、その苦境から逃れられるようなことをしてやりたいという衝動、みたいな感じでまとめている。

 この同情心が欠如しているのが相手の気持ちや痛みがわからない、サイコパスなわけだね。

アリストテレスによると

Compassion, Aristo「tle argues, is a painful emotion directed at another person’s misfortune or suffering (Rhet. 13 8 5 b ! 3 ff.). 

他人の不幸や苦しみに心を痛めること、みたいなかんじか。

Nussbaumなんかは、

Compassion, then, has three cognitive elements: the judgment of size(a serious bad event has befallen someone); the judgment of nondesert (this person did not bring the suffering on himself or herself); and the eudaimonistic judgment (this person, or creature, is a significant element in my scheme of goals and projects, an end whose good is to be promoted). The Aristotelian judgment o f similar possibilities is an epistemological aid to forming the eudaimonistic judgment - not necessary, but usually very important. 

1)苦しみが甚大で 2)苦しみに値するようなことはしていない 3)自分にとって大切な存在者である 

場合にこの情動が生じる、としている。なお、4)自分も同じような苦しみにあう可能性の有無で、同情心のあり方が異なる、と。

好きな洋服を着てパーティーに出席できないことが本人にとっていかにつらくとも、その辛さは些細なものであって同情に値しない。その苦しみが自業自得の場合にも同情心は起きない。

Thus Clark finds that Americans are on the whole less ready than Europeans to judge that poverty is bad luck, given the prevalence of the belief that initiative and hard work are important factors in determining economic success. Similarly, Americans have been slow to judge that sexual assault is a “ plight,” even if it is clearly a wrongful act against the woman, because they retain attitudes suggesting that the woman “ brought it on herself” - by walking alone in a dangerous place, for example. On the other hand, alcoholism and drug abuse are surprisingly likely - and more likely than in previous generations - to be seen as things that “ fall on” the person through no fault of her own.

 アメリカ人が欧州人に較べて貧乏人やレイプ被害者に対する同情心が薄いのも、富は努力で、レイプは自業自得、みたいに思っている・・・といえば語弊があるが・・・要するに、金持ちになれるか、レイプ被害者になるか、について本人の責任の度合いが強いと思っているから、同情心がうすくなるんだろう、と。

 アリストテレスは3)ではなく、4)を同情心がおきる必須の条件としていたが、これは一理あるんだ、と。例えば、


Why are kings without pity for their subjects? Because they count on never being human beings. Why are the rich so hard toward the poor? It is because they have no fear of being poor.・・・・


 王様が臣民に対してい無慈悲でいられるのも、金持ちが貧乏人に同情心がわかないのも、 自分たちが臣民なったり貧乏になる可能性が薄いからだ、と。

Raoul Hilherg shows how pervasively Nazi talk of Jews, in connection with their murder, portrayed them as nonhuman:either as beings of a remote animal kind, such as insects or vermin, or as inanimate objects, “ cargo” to be transported

 欧州では、ユダヤ人は虫けらや害獣、あるいは貨物のように人間以下で自分たちとは似て似つかぬ者たちと表象することによって、同情心を遮蔽して残忍な仕打ちをしてきたわけだねーーー日本だと人体実験の対象は「丸太」と呼ばれていた。

 こういうメカニズムがあるからこそ外国人を「ゴキブリ」とか呼ぶヘイト団体は警戒しなくてはいけないわけだね。

ただ、

 truly omniscient deity ought to know the significance of human suffering without thinking of its own risks or bad prospects, and a truly loving deity will be intensely concerned for the ills befalling mortals without having to think of more personal loss or risk.

 神やブッタは、自分たちは人間や凡夫のような苦しみを超脱して、もはや苦しみを受けることもなく、凡夫と似てもいないが、しかし、人間や凡夫について慈悲心、憐れみ、思いやりの気持ちを抱く、と考えてもよかろう、と。自分たちと似ていなくても、自分にとって大切な者たちの苦しみや痛みについて憐憫の情が湧くだろう、と考えることはおかしなことではないだろう、と。それで、4)の代わりに3)を条件にしたわけですね。

 それでもいいけど、仏教的には山川草木悉皆成仏。「天地と我と同根、万物と我と一体」といわれるわけで、姿形は似ていなくても根底の同一性を観ることでやはり、あなたの苦しみは私の苦しみ、苦しみをとりのぞいてあげたい、といったcompassion の説明はつく。、


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