なんと仲本さんも・・・ご冥福をお祈りします。【訃報】ザ・ドリフターズの仲本工事さん死去 81歳https://t.co/7SLydeUAiP
— ライブドアニュース (@livedoornews) October 19, 2022
18日に横浜市西区の交差点で道路を渡ろうとしたところ、乗用車にはねられ、頭を強く打って緊急搬送された病院で手術を受けていた。 pic.twitter.com/X4QQWVqeUc
いい話だね。スレッド。 https://t.co/2fC4wtLZU7
— buvery (@buvery) October 19, 2022
民法上の不法行為がドバドバあっても法人格を維持して税優遇受けられるというのもこまる。例の邪教には宗教法人格を剥奪されるならザマァ見ろと思うくらいの嫌悪感は有しているのだが、民法上の不法が理由になるというのは、とてもこわい。政治権力をそんなに増長させて、大丈夫なのか。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) October 19, 2022
文化庁が請求しても、解散命令が却下されることは確実。負ける覚悟で請求するか、負ける勝負はしないかは、文化庁が考えればいい技術的な問題。
— 池田信夫 (@ikedanob) October 19, 2022
国会にはもっと大事な問題があるだろう。今年の冬の電力供給はどうするのか。 https://t.co/NbRqTSOg3L
解散命令が却下されることは確実さてどうなるか?
宗教法人を税制で過保護にする、というのはよくないよなあ。この問題は橋下さんに賛成ですが、税制などで宗教法人法が過保護になっているのも事実なので、これを機に法改正して、学校や病院などの非営利法人と同じにしては? https://t.co/ldbAC7BaFN
— 池田信夫 (@ikedanob) October 18, 2022
要するに、弱者をいじめる強者は弱者にとっては悪だからね。そういう価値の転換をやってうまくいった、というわけだね。池田信夫 blog : キリスト教は弱者のルサンチマンに訴える「家畜の道徳」https://t.co/G6EojiykKj
— 池田信夫 (@ikedanob) October 17, 2022
By setting up the asceticism as an ideal by which most humans fall short, the priest can then reinterpret the basic existential fact of human suffering as “feelings of guilt, fear, punishment” (GM III: 20): you suffer because you are guilty for betraying the (ascetic) commandments of your god, you suffer as punishment for your transgressions against this ideal, you suffer because you are a sinner, one who transgresses against the (ascetic) values laid down.
. But if we keep in mind that slave morality is, of course,ascetic in character – it is especially life-denying for the masters, whose whole way of life it condemns – we now have an explanation: what ultimately explains the triumph of slave morality is the same thing that explains the triumph of the ascetic ideal, namely, its ability to give a meaning to suffering, the basic existential problem for “man,” both slave and master.In sum: because the ascetic ideal was the onlyideal so far, and because it was able to satisfy the imperative to make suffering meaningful, the Third Essay also explains why the Roman masters of the First Essay and the heroic Greeks of the Second ultimately succumbed to the modern moral world view.
強者も弱者同様、苦しむが、その苦しみに意味を与えたのだ。
人間は誰もが苦しむ。しかし、奴隷も主人も、ほとんどの人は意味のない苦しみ、なんの意義もない苦しみには耐えられない。それに意味を与えたのが弱者の宗教なのである、と。
関連するところを引用しておくと
道徳の系譜学 p326
人間、このもっとも勇敢でもっとも苦悩に慣れた動物は、苦悩することそのものを否定するかけではない。人間は苦悩を望み、苦悩を探すほどなのだ。しかしそのためには苦悩の意味が示されること、苦悩が何のためであるかが示される必要があった。これまで人間を覆ってきた災いは、苦悩することそのものではない、苦悩することに意味がないことだった。――そしで禁欲的な理想は人間に、「ふの意味を提供いたのである!これが人間の生のこれまでの唯一の意味だった。まるで意味がないことと比較すると、どんな意味でもあるだけまだましだったのだ。禁欲的な理想はどの点からみても、かつて存在したうちでもっとも優れた「何もないよりはましな代用品」だったのである。苦悩はここにおいて解釈されたのであり、これによって巨大な空隙が埋められたようにみえた。あらゆる自滅的なニヒリズムへの扉が開ざされた。
(更新 上記写真をラインの文字読み取りで読み取ってみた・・・かなりうまくいくね)
ちなみに、ニーチェの解釈というのはいろいろ変わってきているね。おれの若い頃はポストモダンの影響をうけたNehamaのものなんかが有名だったが、上記のニーチェ論は以前の解釈には懐疑的である。
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