群衆はその倒れたキリストにむかって罵声を浴びせかけた。悲しいことですが、こういう場合、大衆というものは原始的な残酷な本能にかられるものです。かつてドイツのナチスがユダヤ人たちの家庭を襲つて、無実な人々を曳きずっていった時も群衆はナチのむごたらしい行為に付和雷同した。この日もキリストが喘げば喘ぐほど、倒れれば倒れるほど、群衆が暗い兇暴な興奮に駆られたことは、ほくたちにも容易に想像ができます。・・・・
道の左側にならんでいる家かげから一人の女が走りでてきました。P·ペルトの『キリスト伝』ではこの場面を次のように伝えています。
「婦人は通路を遮ぎろうとする兵士には頓着せず、キリストに近づいて、変り果てたその姿をしばらく眺めていたが、泥と唾と血のしたたる彼の顔を自分の額を蔽っていた布で拭ってやった。イエズスの眼には感謝の色が漂った。そして彼女は家に戻り、さっきの布をみると、その上にはキリストの顔が写されていた。青白い悲しげな表情、悲しみの姿がそのまま写しだされていた。キりストの弟子はこの出来事を記念するため彼女をヴェロニカと呼んだ」・・・・
ぽく自身の気持から言えば、彼女はだれだっていいのです。彼女はその日、群衆に交って一人の受刑者の苦しみ歩く姿を見た。彼女は別にこのキリストがどういう人であるかは知らなかった。それでいいのです。ただ、その時、この女の心には胸のしめつけられるような烈しい憐慨の情が溢れてきた。その感情はるはや周囲の人々の罵声や兵士たちの暴力や妨害をこえて、この苦しんだ男に手を差しのべた。それでいいのです。
「聖書の中の女性たち 」遠藤周作
ヴェロニカが亡くなってもうどれくらい経つのか?
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