おもしろいね。
思想に弱いと思想家の名前や主義のレッテルだけ持ち出して鼻息を荒くするものだが、こっちのほうはしっかり議論している。
で・・・
ーーリバタリアンとは、他の人に自分と同様に備わっている自由を侵害しない かぎり自分のしたいことをする自由があるんだ、という考え方だ、と。
対して、無政府主義は、権威に対抗する哲学的立場であって、それが社会的でも、政治的でも経済的でも権威に徹底的に対抗し、それゆえ国家というものは廃止して、社会は国家なしにやっていくべきだし、それは可能だ、と考えている、と。無政府主義も個人が自分が選択した人生を歩めるような自由を最大限尊重している、と。 今日、無政府主義者と自認する者たちはアメリカに代表されるようなリバタリアン的運動は、社会的、経済的支配関係に無頓着すぎるとみている、と。リバタリアンが唱導する自由市場は、資本家が搾取する自由である、と。 真の経済的自由とは無政府主義者にとって社会主義であって資本主義ではない。
無政府主義者もリバタリアンも同じく自由な社会を求めているのに、結果として真反対の経済制度、つまり、前者は社会主義、後者は資本主義をしているというわけだが、しかし、こうした見方は単純すぎる、と。
個人主義的無政府主義者のタッカーという人の思想をもちだす。タッカーは資本家の不労所得を得る特権を毛嫌いしていたが、真の自由市場で、国家との癒着をなくし、権益を付与しなければ、誰しも、費用に近い価格でした商売ができないのではないか、と考えたんだ、と。銀行の利子や地主の地代、商人の利益は独占によって可能となるのであって、そうすることで、恣意的に競争に制限が加えらられてしまう。タッカーにとっては、真の自由競争こそ社会主義への道だったのだ、と。自由な競争があるからこそ、ものの真の経済的価値があらわになる、と考えたのだ、と。
実際自由市場によって多くの人たちは貧困からすくい上げられてきた、と。
ちなみに、これは、FBのリバタリアンのサイトの記事。
おれなんかかすると、政府の大きさという意味ではリバタリアンは最小で、無政府主義者は無みたいなイメージだったが、言われてみれば戦前、無政府主義者と共産主義者は親和性あったもんなああ、たしか。
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