「加害者の人権」が分かるかどうかは古典的なリベラリストの試金石なんですよね。これが党派の別を問わずいかに容易く見失われるかは飯塚幸三事件を見れば明らか。人間は被害者に寄り添う方が元来得意なのです(被害者バッシングはその裏返し)。リベラリストは「人の情」に反してる。
— 河野有理 (@konoy541) October 29, 2021
自分はこれリベラリストというよりも左翼の人々から学んだように記憶している。どこで変わってしまったのかな。
— mozu (@mozumozumozu) October 29, 2021
加害者への非難というのは社会の重要な役割で正義を実現するために社会に必須なんだけど、おうおうにして行き過ぎがある。
非がある人たち、少しでも非がある人達、非があると思われる人たちを極端に攻め立てる。
self-righteous
convinced of one's own righteousness especially in contrast with the actions and beliefs of others : narrow-mindedly moralistic
confident of one's own righteousness, especially when smugly moralistic and intolerant of the opinions and behavior of others.
独善的ってやつかなあ?
そういった傾向があるゆえに、刑事訴訟法なんかも、被疑者、被告人の人権に 配慮しているわけだけど、独善者たちの声はソーシャルメディアなどの誕生で増幅されるばかり。
罪なきものしか声をあげてはいけない、とまでは言わないが、やはり、行き過ぎには注意しないとね。
行き過ぎた非難、不当な非難に声を上げていくのも民主主義社会では重要なことだね。
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