毒蝮 それで言うと立川談志なんかもそうで、当たり障りのあることばかり言ってた。世の中を皮肉って痛烈なことを言う。言ってることは正しかったりするんだけど、談志の場合は痛烈過ぎて言われた相手は傷ついちゃうんです。例えば、「努力とは馬鹿に恵(あた)えた夢である」なんて、努力してがんばっている人を見下すようなことを堂々と言う。
談志師匠は落語はすきじゃなかったけど、これは上手いなああ。
毒蝮 それを見て、日本はホントにダメなんだなって、しみじみ思いました。そうして自分の家に向かって歩いてく。だけど目印もないんですよ。残ってたのは風呂屋の煙突ぐらい。途中に防空壕があってまだ蓋がしてあったんですね。それを開けてやったんです。すると中から5、6人がこっちを見てる。みんな衣服もちゃんとしてる。「空襲終わりましたよー」って言ったら、みんな黙ったままで、よく見たらみんな死んでた。窒息死なんです。
毒蝮 そんなこともあって歩いてたら革靴が落っこってたんですよ。革靴なんて当時は貴重品ですよ。みんな安いズックとか、ゾウリとか、下駄だったから。その革靴がちょうど俺ぐらいの子どもが履いてるぐらいの大きさで、拾って持って帰ろうと思って片方を手に取ったら重いんです。見たら中に足首が入ってた。
田原 えっ?
毒蝮 っていうことは、この靴を履いてた子は爆風で飛ばされたんだなって。
毒蝮 だって革靴なんですもん。おふくろはそれをじーっと見てた。これを仲代達矢さんに話したら、仲代さんも目黒で空襲に遭って、逃げる途中で女の子がいたから「おい、逃げなきゃダメだ」ってその子の手を握って逃げてたんですって。そしたら握ってる手が急に軽くなって、仲代さんはその子の片腕だけ握ってた。女の子は吹き飛ばされてたんです。それで仲代さんは「僕は逃げるためにその手を放り投げた。それが今でも悔やまれるんです」って。それはもうしょうがないんですけど…。
映画でみたらスゴイ場面になるだろうけど、こういうのはやっぱ体験しないと思いつかないだろうね。
毒蝮 空襲は半藤さんも書いているけど、抵抗できない子どもにも襲ってくる。それをわかってて襲うんだから殺人ですよね。何にも抵抗できない我々は逃げるしかなかった。
大半のアメリカ人もアメリカのジャーナリストもなにも反省していない。戦争に勝って、戦争について悔い改める機会を失ったのである。
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