2020年7月26日日曜日

命に関する見え透いた嘘 / ウォレスになれというのか?



障害者が不幸にならず、高齢者が荷物にならないような社会を形成すべきではあるが、しかし、どんな場合でも命は平等か、というとそうではない。

人間が生きていくには動物の命を平気で殺しているし、いざとなったら人間の命でさえ選別される。感染病が蔓延した場合、より多くの人がより長く生きられるという観点から、医療関係者などが優先的にワクチン接種される。飢饉の場合など姥捨て山方式がいたしかたない場合もある。岩永さんも雨宮さんも、動物に関しては無神経に、残酷にも、必要もない殺生を自分たちの味覚の快楽のために平気でしているのではないか? 美味しいお肉を食べたときの満足感の微笑みが、相模原の犯人の笑いと相通じるものがなかったといい切れるかどうか?

現状では、そのような状況になく、高齢者や障がい者、あるいは、動物の幸福が増加、不幸が減少すべき政策を実行すべきなのにしていない、というに過ぎない。

他方、安楽死の問題は生き方の問題であって、選択肢は合法的に与えられるべき。

たとえばの話、ブレイブハートでメル・ギブソン演じるウイリアムウォレスが、拷問、死刑になる前日、イザベラが楽に死ねる薬を提供してくれるんだけど、ウォレスは断る。断って次の日、腹切られて、手足を引っ張られて、「フリーダームーー!」とか言って死ぬわけだ。


それは勇敢かもしれないけど、薬もらって死ぬ選択肢だって、悪いとはいえない、だろう?ーーというか、そういう選択肢があって然るべき。

おれだったら、薬を選ぶぞ。

生き方、死に方まで、国家や他人に強制してもらいたくない。合法的な制度がなければ、実質的な強制になる。

スイスの場合、かなり要件はゆるいようだが、、オランダの場合、 苦しみの継続、医師による回復不能の評価などを要件としている。

せめてオランダ程度の要件の議論くらいはもっとしておくべきだ。

スイスに行ける余裕がある人だけ、自分の生き方を選べる、というのも公平とは言えない。




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