2021年3月28日日曜日

Separate but equal

 



youtubeでも見られるんだね。なかなか考えさせられるドキュメンタリーだった。

 障がい者の平等を訴えるときに、Separate but equal を持ち出すわけだね。
白人と黒人の施設について、分離すれども平等が通用しないように、健常者と障がい者も分離すれど平等は通用しませんよ、と。

 同じ施設で平等に使えるようにしろ、と。

 そして、障害というのはその人の属性というより、施設の属性と考える考え方なわけだね。
車椅子に乗っているからではなく施設が不適切だから利用できないのだ、という考え方

 車椅子が障害ではなくて、階段が障害をつくっているのであって、スロープをつけていない施設が悪い、というか、平等の精神を体現していない。

 そして、平等というのは、例えば、貧乏でも、頭悪くても、平等に教育を受ける権利があり、授業料が払えなかったら、国が出してあげたり、理解するのが遅ければ、補習してあげたり、その人が他とは異なる属性があっても、他の人と平坦化するようなサービスを提供する義務が国に生じることになるが、障害者に対しても同じなんだなああ、などと思ったりしたのであった。

 上記ドキュメンタリーはアメリカ的な社会変革のさせかたで別に真似する必要はないが、障害者に対する態度としては同じような発想は必要であろう。



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