ヨブ記ってのは問題提起としては面白いんだよね「ヨブ記」がとても重要、あえて言うなら「画期的」だったのは、人間の運命とそれに対する思考・態度を因果応報から解き放ってしまった点にある。
— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) March 13, 2021
「なんで、こんなひどい目にあわなくちゃならないんだ!?・・・そんな悪いこともしていないのに!!」・・・・人間誰しも思うことがある。
因果応報を解き放った、という見方は面白いが、しかし、これは、同時に、キリスト教から離脱できないような呪縛したんだよね。
信仰している(キリスト教の)神が存在するならば、なんで、こんなひどいことが世界におきるのか?なんでこんな悲惨なことが自分に起きるのか?・・・その答えとして、わからん、ということは神が偉大であるということで、お前の頭じゃわからんけど、信心し続ければ、神からお恵みがいただけるかもしれない、と。
信者が脱退しないよう罠を仕組んであるわけだね。
それはともかく、この点、吉本隆明なんかは、
この頃のキリスト教の神観は、いい人悪い人関係なく命を奪っていくアジアの自然観と近いんじゃないか、とーーーこれはこれでおもしろい。
おれの解釈はヨブってのが親で、神が非行にはしる悪ガキで、その比喩というか、そうした忍耐深い親の愛をモデルにして、それをヨブに吹き込んだんだろうな、と思っている。神が悪魔と組んで悪さして親はさんざん苦しめられる。にもかかわらず、親の子供への愛はーー途中多少ゆらぎながらもーーー継続する。
死刑になるほど他人様に残虐非道なことをやっても、自分の子供に対する愛はなくならい。
ヨブの神への愛とか信心ってのは、親の子に対する愛や”信仰”以外この世にない。
たいていの親にとって子供はBlessing 以外のなにものであろう?
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