2019年11月28日木曜日

死を茶化したポスターは必ずしも悪くない。

厚生省はなにやってんねん! 吉本は権力者の犬か!といいたいところだが、これについては、それほど悪いとはおもわない。

患者が旅立つ際に医療機関や在宅の場で立ち会うこともあり、どれだけ家族で話し合っていたとしてもご遺族が「もっと話し合っておけば」と悔やまれ深い悲しみを感じておられる姿を見てきています
だったら、人生会議の宣伝そのものの否定であろう。

本来、どんな風に最後まで生きたいかを患者や家族、医療者で共有し合うためのものだったはずです。
死に際に、「そういうことをもっと話し合っておけばよかった」ということじゃないの、あのポスターは?

「死や死にゆく人を茶化すような表現は、関西弁を使ったり、お笑いの人が登場したりしていることを考えてもおかしいですし、関西の人だって死や病気になって生きることに真剣に向き合っているはずです」

死ってだれにとっても怖い。だから話題にすること自体がタブーになっている。 しかし、避けられない。だから、お笑いにして、接近しやすくする、というのは、悪くない発想だよ。



今回の場合は、最後はゆっくり自宅で過ごしたかったのに話し合っていなかったから叶わなかったというところが伝えたかったメッセージ。

これはたしかに伝わってないかもしれんね。

はっず!

まず、「はっず」って何?

病院でおとんのすべった話聞くなら
家で嫁と子どもとゆっくりしときたかったわ
ほんまええ加減にしいや
あーあ、もっと早く言うといたら良かった!
こうなる前に、みんな
「人生会議」しとこ

こう書いてあるんだけど、 「病院でおとんのすべった話聞」かずにすむなら病院でもええわ!ということなのか、・・・・焦点がボケてしまっている。



生の最後をこういう風に過ごしたいと、話し合うのも、人生会議なわけだろう?

まあ、芸人がパイプつけたポスターそのものを私は悪いとは思わないが、「人生会議」そのものの概念をもう少し煮詰めたほうがいいんじゃないかね?

生の最終章をどうしたいか、というのは大事なことだけど、これから、シングルで死んでいく人も多いわけで、そうした人についても、病院や介護関係で、どういう選択肢があり、どうしたいかなどを考える時間をもってもらうようなキャンペーンにすべきだな。








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