これは、形式的な機会の平等というやつだね。言いたいこと分かるが例が不適切。この理3美人は、優れた遺伝子を持った人がその通りの社会的ポジションを得ている、機会の平等がある、才能が反映される社会であることを示す例でしょ。親の向上心とカネを注ぎ込まれたことで遺伝子レベルからかけ離れたポジションにいる例を挙げなきゃ。 https://t.co/ywBmV6NwHO— Spica (@Kelangdbn) 2019年11月27日
それが本当に機会の平等といえるか?という問題
Substantive Equality of Opportunity
例えばの話、、富裕層にだけ開放していたエリート軍人への道を貧困層の若者にも開放したとして、合格するのは、富裕層の若者だけだったりすることもある。貧困層の若者は軍人になるのに必要な体格、体力を得る栄養が足りない、ということだってある。これでは、軍人になる機会が平等、とは言えないだろう、と。じゃあ、才能があって軍人になりたい若者に斉しく機会を与えるにはどうしたいいか、といえば、例えば、食事を提供し、軍事予備校に平等に行かせてもらえて、軍事コーチも派遣してもらう。様々な工夫をして、初めて実質的に機会が平等に与えられた、ということになるのだ、と。
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