2020年6月2日火曜日

人種差別的な言論に中立的ありえないか?





英語だと、
There isn't a neutral position on racism.






ツイッター社は、.
このツイートは、暴力の賛美についてのTwitterルールに違反しています。ただし、Twitterではこのツイートに公共性があると判断したため、引き続き表示できます。詳細はこちら
というような対応をしている。・・・・これはこれで妥当なんじゃないですかねえ。

ーーー例えば、裁判所なんかで、ある言論が差別的かどうか、吟味するために、その言論を裁判所で公開することはありえるわけで、その場合裁判所は、その言論に対して中立的な立場だろう。

賛成する言論も反対する言論も同じ条件で掲載すれば、それは原則、中立的な立場と言えるのではなかろうかね?

ただ、民間の企業が中立的である必要もないわけで、人種差別や暴力を扇動する言論を禁止したりするのも勝手。仮に、公共性が高くて中立性を求められることが強くても、ツイッター社のように注釈をつけることは許されよう。

人種差別や暴力扇動的な言論に対しても、中立的な立場はあり得るが、中立的な立場は取るべきではない、はっきりとした立場をとるべきだ、と、従業員たちは、主張すべきであったのではないかね?

要するに、
人種差別に対しては、賛成か、反対しかありえないが、
人種差別には反対だけど、人種差別的な言論については中立的な立場というのはありえる。
また、
人種差別に反対でも、人種差別的な発言をすることを許容することはできるし、許容しなければいけない、という立場もある。

ボルテールの発想を反映すると言われる言葉

‘I MAY DISAPPROVE OF WHAT YOU SAY, BUT I WILL DEFEND TO THE DEATH YOUR RIGHT TO SAY IT’

がまさしくそういうことを言っているいるわけだね。

もっとも、マイノリティーの発言の場が現実の社会では不当に矮小化されている場合がある。
その場合には、マイノリティーに発言の場をあえて特別に提供する思いやり、ないし義務が社会に必要になってくる。






0 件のコメント:

コメントを投稿