実存主義だと、世界で起きていることで、自分に関係ないことない、とか、自分の行動自体が、世界への判断である、みたいにいうわけだけど、世界のことは全く関係ないものもあるし、関係ない方が幸せなものもある。日本みたいな社会にとってのイスラムはそれだろう。全てのものは零距離じゃない。
— buvery (@buvery) June 2, 2020
実存主義の帰結だとは思わないが、この本によると、
とあり、ヤスパースの他にカミユやサルトルの名前があげられているから実存主義系の思想と親和性はあるのかもしれない。
Karl Jaspers comes to feel that he is personally responsible for everything that happens in the world
I am responsible for everything happening to the world
According to Sartre, I am absolutely responsible for what happens to me and even for the whole world.....
What happens to me happens through me because I am the one by whom the world takes on a meaning
When something happens in the world I am called to respond and answer for it; I am responsible for it.
世界の意味を構築しているのは自分で、世界に応答するよう呼びかけられている、それがすなわち責任をもつ、ということなんだ、と。
・・・・サルトルの論考というのは論理の飛躍があるんでなんだが、普通は、自分の存在や行動がある出来事の要因になっていない限り、責任を問われることもないし、自分の言動が影響を与えることができなければ責任は問われない。
おれがアメリカの黒人差別について非難したところでその影響は微小である。のみのきんたまほどもない。責任が皆無とは言えないが、発言しなかったとして、それほど責任は問えない。
ジャーナリストというのはその点その発言が社会に与える影響は大であって、米軍慰安婦問題について知っていて沈黙していたらその責任は問われるべきだ。彼らは米軍性奴隷の苦しみを軽減することができる立場にあるのだから。
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