2021年2月11日木曜日

You are not only responsible for what you say, but also for what you do not say.

 



北朝鮮やソ連で不正に対して沈黙することは・・・・せざる得ないだろうなあ。

反対意見や気に入らないこといったら殺されちゃうから。

ああいう独裁国家ではなくても、権力者や多数者が不正を行っているとき、それを告発することは告発した人に対して、不利益をともなう、特に告発する人が少数弱者の場合、強いバッシングをうけるのは想像に難くない。

だから、声をださない、あるいは控えめなのもわからなくはないんだけど、


Martin Luther King, Jr.

In the end, we will remember not the words of our enemies, but the silence of our friends.

Our lives begin to end the day we decide to become silent about things that matter.

The ultimate tragedy is not the oppression and cruelty by the bad people but the silence over that by the good people.

You are not only responsible for what you say, but also for what you do not say.

 不正を受けている側からすれば、なんで傍観しているんだ、という気持ちがおきるのは当然。

 声を出す人が増えなければ社会の進歩はない。

 沈黙は同意とまではいわないが、不利益がほとんどないにもかかわらず、声を出さないのはやはり、罪あり、じゃないですかねえ。

 刑法でも不作為の罪ってあるじゃないですか・・・あれと似たようなかんじで・・・

 不利益を受けても声を出す人達がいる。その人達が、無残に倒れながら、また、突風を受けながら世間の風を変えていく。それに鼓舞されて声を出す人たちでてくる。風が吹き不正の側が崩れる。すると、いままで黙っていた人たちまで声を上げ始める。最後の集団はちょっとズルいような気もするけど・・・これはしかたがないかもしれないが、多少の罪悪感は感じてもらいたい気もするけどね。おれでもいろいろ罪悪感はある。なんの罪悪感のない人間のほうがこわいでしょ?

(米軍性奴隷に沈黙を決め込んでいる外国特派員や教授は”有罪”だよ)

 ただ、他にも問題があって正か不正、白黒はっきりしない場合もある。どっちの言い分もあり得る、という場合。こんな場合はどっちについたからといって、あるいは沈黙していたからといって、罪があるわけではない。

参考

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