【板東洋介氏第41回サントリー学芸賞受賞記念公開「江戸の情炎―近世日本における「恋」の諸相」(『nyx』2号第二特集「恋愛論」より)】— 雑誌nyx&nyx叢書 (@nyx_jpn) 2019年11月17日
板東氏の『徂徠学派から国学へ―表現する人間』の受賞を祝し、『nyx』にご寄稿頂いた論稿をご本人の了解のもと、無料公開いたします。https://t.co/nvwuIbKItw
恋はその途上においてのみ恋でありうる。だから相手との接近を願いつつも、その接近の軌跡が永遠の漸近線をえがくに終わり、すなわち忍び続ける恋こそが、もっとも純粋で激しい恋なのだ。こうした恋の逆説的な消息は、万葉集に「こひ」が孤悲と表記されて以来続く・・・
武装した外敵に包囲、あるいは急襲を受けたため・・・・ごくわずかの手勢が必死に防戦に努めているような絶体絶命の場面・・・普段は、押し下げられたものの中から、主君の身代わりになろうと進み出る者がいるだろう、 其時はじめて誰が本当の忠臣であったか明らかになり。「本当の忠義とはどのようなものかが明らかになり、自分の身代わりに斃れた佐藤継信の手を握って源義経がさめざめと泣いたように本当の主従の温かなつながりも明らかになるだろう・・・・。
お七にとって火事の中にしか恋の成就がなかったのとパラレルに常朝にとっても、恋の思入れの成就は、 前代の戦火の中にしかなかった。
漸近線の軌道上にあるうちはつらいにせよ、自分は生きている。しかし、接触して成就するときには、自分の命を捨てるほかないんだよお、孤悲っちゅうもんわなあ。
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