たとえば第4回日本レポート審議総括所見(2009年)では、勧告の項目「ステレオタイプ」に、「女性の過度な性的描写は、女性を性的対象としてみるステレオタイプな認識を強化し、少女の自尊心の低下をもたらす」と警告している。
過度な性的描写をポコっと公共の場に置くのはおれも反対なわけであるが、これは、ラブコメのキャラで、多面的な描写があるにもかかわらず、おっぱいだけ注目しているのは、あなたでしょう、ということにならんかね。
「目を引くためだけに『笑顔の女性』を登場させたり、体の一部を強調することは、意味がないばかりなく、『性の商品化』につながります」
体の一部を強調するって、巨乳の場合は巨乳が目立つのはしゃあないだろう、そりゃ。このポスターの場合、生乳を出しているわけでもなく、おっぱいだけの図柄でもない。
今回のポスターはこうしたガイドライン等に抵触することは明らかだろう。
明らかだろうって、そこを細かに論じなければ学者とは言えまい。
まずこれは、「見る人が不快に思う」からダメという言う話ではない
そういう人がいる、という意見表明はすべきだし、主催者は次回から参考にすべき。
女性の性が断片化され、人格から切り離されたモノと扱われることが、女性蔑視・女性差別だから問題なのだ。
ラブコメの文脈の人格、キャラから、断片化しているのは教授自身であり、 断片化を差別というなら、教授自身が女性差別しているわけである。
そもそも巨乳女性という存在は女性差別的なんだろうか?
物心つく前から、街頭で目にするポスター、本屋やコンビニの店頭にならぶ雑誌の表紙に、性的なポーズを取り男性の欲望に訴える女性の姿を見ない日はない
ポスターがエロトピアのような、エロ雑誌、エロ漫画の表紙みたいのだったら、おれも反対するわなあ。
女性が自らの身体を愛し、可愛かったりかっこよかったりする下着を凛とした表情で身につけて堂々としているポスターはまさに女性の性の主体性の回復だ
だったら、今度のポスターは凛とした表情のTバック女性のポスターとかはどうだろうか?
そして、そんなに主体を回復させたかれば、教授も凛とした表情で下着姿で登場してみればどうだろうか? フェミ教授による主体回復みたいな感じで。
老若問わず、女性の身体や性にかかわることがすべて「エロい」「恥ずかしい」と感じさせられてきた人々が、下着広告ポスターどころか女性下着そのものや生理用品さえ「エロい」と感じてしまったり、女性にとっては普通の服装なのに「胸元が開きすぎ、スカートが短すぎ、エロい」などと思ったりするのもやむを得ないと言えなくはなかろう。
でも、反射的にそう思うとしても、態度や口には出さないこと!それらはあくまで女性の日用品、当たり前の服装。30年前はともかく、そういうものを性的・恥ずかしいと感じる時代はもう終わっているのだと認識のバージョンアップをし、内心は表に出さず普通に振舞ってください。
巨乳が即エロい、というのもおばさん、おばあさんの思い込みじゃないか?
学者の議論というより、飲み屋のオヤジの愚痴に近い、という印象。
いずれにせよ、フェミの特異性を浮き出させたように思う。欧米でアンチフェミがいるを不思議に思っていたが、なんかわかる気もするな。
0 件のコメント:
コメントを投稿