町山智浩 Retweeted
フランス哲学というのはわけわからなそうなこと言うの好きだよねええ。 それで、深淵そうな顔つきで語る・・・おれの若いときからいたなあ。「地獄とは他人のことだ」人間関係の定義に於いて余りに有名なこの言葉はサルトルのもの。1944年の彼の戯曲「出口なし」が出典です。地獄に堕ちた3人が何もない部屋に閉じ込められ、互いを傷つけ憎み合う話。永久にこの他人地獄を辞められないことを悟った男は最後こう言います「さあ、続けようか」。 pic.twitter.com/gTbyxjh0bi
— 昔の風俗をつぶやくよ (@LfXAMDg4PE50i9e) March 28, 2022
Sartre offered a clarification about his much misunderstood phrase:
"Hell is other people" has always been misunderstood. It has been thought that what I meant by that was that our relations with other people are always poisoned, that they are invariably hellish relations. But what I really mean is something totally different. I mean that if relations with someone else are twisted, vitiated, then that other person can only be hell. Why? Because … when we think about ourselves, when we try to know ourselves … we use the knowledge of us which other people already have. We judge ourselves with the means other people have and have given us for judging ourselves.
自分は何であり、誰であるか、というのは他者からの規定から逃れない、それをまああ、サルトルは、地獄だ、というわけですねーーー深くもなんともない・・・これを地獄というのも・・・なんか浅薄ですね。
たしか広松渉なんかもサルトルのこうした言説を解説していて、要するに、自分というのは即時的には無なわけで、しかし、他者に規定されてある。で、じゃあ、他者規定で終わるか、というと、自分が新たな可能性に投企することでそうした規定を覆すこともできるわけですね・・・なるほどなああ、とおもった覚えがある。もっと砕けた言い方をすると、くそ真面目だ、くそ真面目だ、とおもわれていた人が冗談で人を笑わせたり、ヌード写真を公開したりすれば、他者の自分に関する理解を覆すこともできるわけで、他者の視線は自分を石化してしまうものでもない。
ただ、引用した3番めの記事でも言っているように死者に関してはそれができない。死んじゃっているから、再規定を促すこともできないわけだね。つまり、過去の人物の解釈、評価については、現在生きている人たちの視線、規定に全面的に依存するのみ。サルトルの「出口なし」の舞台が死者の世界であれば、そういうことにもなる。
哲学者の深遠そうな言葉を引用して、深そうなことを言っている場合、言っている本人もわかっていない場合が・・・おれが知っている人たちの場合は多いね。
地獄についていえば、おれはドストエフスキーの
“What is hell? I maintain that it is the suffering of being unable to love.”
地獄とは何か、それは愛せないという苦しみだ
こっちのほうが深いと思うな。
0 件のコメント:
コメントを投稿