2022年3月29日火曜日

”I have faith; I have faith. ”

 

<社説>米アカデミー賞 評価を受けた「普遍性」

日本語、英語、北京語など数カ国語が飛び交う「多言語劇」のラストシーンで、ヒロインのソーニャが韓国手話で“語る”台詞(せりふ)が象徴的だ。
 <生きていきましょう/長い長い日々を/長い夜を生き抜きましょう>
 「多様性」の中の「普遍性」−


これ、普遍的なのけ? 普遍性に訴えると、評価をうけるのけ?

大体、芸術作品というのは、例えば、孤独とか、理不尽とか、愛とか苦しみとか人間にとって普遍的なテーマを扱うわけだが、それをどう描写し、どういう視点を切り開けるかが問題で・・・陳腐なものものもあれば、圧倒的なものもある。普遍的なテーマを扱ったからといって評価されるとは限らない。

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The Wasted Life

2022年2月13日日曜日

”we shall patiently bear the trials that fate imposes on us”

運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱づよく、じっとこらえて行きましょうね

ここらへんは、我慢すること自体を美徳に感じる日本人にうける部分なのかも?

で、映画で最後までセリフを言ったかどうかしらないけれど、原典のワーニャ伯父さんのほうは、

あの世へ行ったら、どんなに私たちが苦しかったか、どんなに涙を流したか、どんなにつらい一生を送って来たか、それを残らず申上げましょうね。すると神さまは、まあ気の毒に、と思ってくださる。その時こそ伯父さん、ねえ伯父さん、あなたにも私にも、明るい、すばらしい、なんとも言えない生活がひらけて、まあ嬉うれしい! と、思わず声をあげるのよ。そして現在の不仕合せな暮しを、なつかしく、ほほえましく振返って、私たち――ほっと息がつけるんだわ

すばらしいあの世が待っている、ということになっている。

I have faith, Uncle, fervent, passionate faith. 

ほんとにそう思うの、伯父さん。心底から、燃えるように、焼けつくように、私そう思うの。

 ソーニャには信仰がある。

 ジハードでもなんでもそうだが、すばらしいあの世があるからこそこの世の苦しみを耐えましょう、乗り越えましょう、という話なわけですね。

 ただ単に苦しみに耐えるわけではない。絶望ではない。あの世を信じているから希望がある。

 しかし、もし、あの世は信じられないし、さらに、苦しみだけが永遠に続くとしか信じられないとすれば・・・・「生きていきましょう」という言葉は虚しく無意味な言葉として絶望を際立たせるだけかもしれない。


「翌日、ソーニャが目覚め、お茶を用意して叔父さんの部屋にいくと、ワーニャ伯父さんは天井から吊るされたロープに吊るされていた。脱力した叔父さんの体の背中には朝日がさしていた・・・・」

・・・とかなると、むしろ現代的な演劇になるかもしれない。

・・・・結末は他にもいろいろありえるが・・・。





 

 

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