『鬼滅の刃』のヒットを支えたのは「あのセリフ」だった…!
現代ビジネス[講談社]さんの投稿 2020年10月28日水曜日
表面的には綺麗で美しく、笑顔で過ごしている。けれども、心の中は空っぽで、感情がない。幼い頃、貧困と虐待をうける中で、自分を守るために感情を失くし、親に売られ、名前も付けられていなかったという背景を持つ・・・・
「どうでもいいの。全部どうでもいいから、自分で決められないの」・・・・
本作では、大事な存在がいるかどうかが決定的に重要になる場面が多い。愛する存在がいる。愛してくれた関係がある・・・
「鬼滅の刃」 はおっさんにはピンとくるものがなかった。
でも、現代人”も”こういう思想にさいなまれているのかもしれないな、とは思う。
それで、思い出したが、最近読んだ記事で面白かったのが、これ。
Fyodor Dostoyevsky and the Hell of No Longer Being Able to Love
ドストエフスキーの小説のなかにでてくる登場人物たちも「何もかもどうでもいい、大切なものなんかない」という想念というか感情というか、そういったものにとりつかれている、と。
例えば、おかしな人間の夢 The Dream of a Ridiculous Man のなかの主人公も然り。なにもかもどうでもいいから、死のうかなあ、と思っていたが、少女の苦しみに触れて、改心する。
ソストラダーニエ сострадание ー訳者は「共苦」 と訳しているが、少女の苦しみを自分の苦しみとして感じ取った・・・・しかし、そう感じさせた底流にあるのは愛である・・・・というわけで、なにもかもどうでもいい世界は地獄であり、そこは、愛を感じられない世界ーthe hell is the suffering of unable to loveーであるが、そこから、少女の苦しみを感じ取ることを通じて、他人を自分のごとく愛する Love Others as You Love Yourself 世界へと跳躍する。
だが、しかし、たとえば、サイコパスのようなやつらを愛せるのか、とおっさんはふと思った。愛とは他者の苦しみを理解することでもあるが、彼らに愛ー共苦の前提となる苦しみの体験があるのか?・・・と思ったら
The Hidden Suffering of the Psychopath
あいつらにも苦しみはあるらしい。
ーー愛だよ、愛。
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