ニキータ・フルシチョフ
出典: フリー百科事典
民族的にはウクライナ人
へええ
1962年に起きたキューバ危機ではアメリカとの戦争の瀬戸際まで進むことになるが、寸前で譲歩し戦争を回避した。
失脚
フルシチョフによる集団指導体制を無視した自らへの権力の集中(第一書記と首相の兼任)、さらには前述のように同志に対する叱責や暴言や外国での粗野な振る舞いを繰り返したため、ひそかにニコライ・イグナトフ、アレクサンドル・シェレーピン、ウラジーミル・セミチャストヌイ、レオニード・ブレジネフらが中心となった反フルシチョフ・グループがフルシチョフの追い落とし、あるいは暗殺を着実に準備していった。ブレジネフはフルシチョフの毒殺や専用機の爆破をも企んだとも言われている
暗殺の計画まであったわけだね。ただし、理由は、キューバ危機で譲歩したことではなさそうだね。
1964年10月、黒海沿岸のリゾート地ピツンダ(英語版)で休暇中のフルシチョフとアナスタス・ミコヤンは、ミハイル・スースロフ(一説ではブレジネフ)からの突然の電話で「火急の農業問題を話し合うための臨時の中央委員会総会」のためにモスクワに呼び戻された。10月13日および14日に開かれた臨時の中央委員会総会で、ミコヤンを除く幹部会員全員がフルシチョフの更迭を要求した。
三越の社長のように「なぜだ!」と叫んだとか叫ばなかったとか?
長期的にロシア経済がひどくなり側近がプーチンを失脚させるというシナリオはありえるかも。ただ、短期的には暗殺も解任もないだろうね。
0 件のコメント:
コメントを投稿