ロシアからきたチェチェン人がイスラムという暴力を正当化する宗教を信じた少年でなければ、この残虐行為はなかったわけで、その残忍さに目をつぶる人は、残虐行為に加担していると言って良い。 https://t.co/uE2Bpd7A91
— buvery (@buvery) October 19, 2020
悪いことは日本でも起こりうる、といいつつ、例えば、慰安婦問題など日本で起きた悪いことは外国でも起きている、とは言わないのが・・・・日本の論者たちの特徴だろうね。
英語圏だと、自分たちの社会でおきた悪いことは自分たちだけの問題じゃない、世界中で起きている、という論述が多いんだけどね・・・だいたい、人間の問題は普遍的な場合が多い・・・まあ、それはいいとして、
本島は・・・「(昭和)天皇にも戦争責任はあると思う」と発言した。・・・多くの右翼団体街宣車で長崎市に集結、本島に対して「天誅」を叫ぶなど大々的に抗議活動を行った。・・・・1990年1月18日午後3時ごろ、・・・・背後から近付いてきた右翼団体正氣塾幹部の若島和美に背後1メートルの至近距離から銃撃された。・・・正氣塾はその後も・・・・テロ事件を起こしている・・・『自分らはテロ行為を否定できない。話し合いだけなら、市民団体になってしまう』という理論を主張している。
この事件を一般化して、保守の残虐性とか、野蛮性などを論じられても困るわけだが、英語圏では、この事件を取り上げて日本の右傾化、日本における右翼テロの恐怖みたいなことを書いていた英語の書籍だが記事を読んだ覚えがある。
特定の宗教や民族、国民に対する恐怖や憎悪を一つの事件に読み込むのはいかがなものか、とは思うねえ。
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