“For centuries,” writes de Dijn, “western thinkers and political actors identified freedom not with being left alone by the state, but with exercising control over the way one is governed.”In Ancient Greece, and later, in Rome, freedom was defined in opposition to slavery. To be a slave was to be unfree; it meant having no say and no power over your future. When Ancient Greeks “talked about themselves as free,” de Dijn writes, “they meant that, unlike the subjects of the Persian Great King, they were not ruled by another but governed themselves.” This is what she describes as a “democratic conception of freedom.”This is the basis of “freedom to,” or positive freedom
「~からの自由」「~への自由」というのはよく言われること。政府からの干渉がないというのが前者、政治的参加への自由が後者のように言われる。前者は否定的自由、後者を肯定的自由とか分類されることもある。
ギリシャやローマの時代ではそれは、奴隷の対義語。他国の王から支配されずに、自分たちで統治すること、それが肯定的自由なのだ、と。
否定的自由が自由の根本のように言われることがあるが、しかし、それは、富裕層の所有を政府からの干渉から守る自由としてしばしば悪用されてきた、と。
貧困層の自由は、むしろ後者の自由であり、そのために富裕層と戦ってきたのだ、と。
今日のウクライナ問題関連で言うと、
戦略的思考とはなにか 岡崎久彦 p.114
「自由とは、自分の属している国の安全ということ、それが他国によって支配されたり侵されたりしないということ、これが第一に意味だったのです」
田中美知太郎先生も言っておられる。(おれの記憶では、自分はこれを上山春兵の言葉だと思っていた・・・記憶違いか、上山さん”も”言っていたかもしれないね)
一般市民を巻き込んで全滅しても自分たちの自由のために戦え、というのも間違っている。
しかし、せっかく勝ち得た自由と民主主義を戦わずに圧政的な独裁者に手渡してしまうのも間違っている。
ちなみにJacobin は左派系の記事、岡崎、田中といえば保守系。どっちの記事からも学ぶことはある。
読む資料は偏らないほうがいいね。
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