2023年2月13日月曜日

"Freedom therefore consists in the control over ourselves and over external nature, a control founded on knowledge of natural necessity"

「どこで収入立てればいいの」1トン以上の生乳を“廃棄” 北海道の酪農が“最悪の事態”に 2/12(日) 1 なんで安く売ってくれないの? おれ牛乳好きなんだけど・・・いま温めて飲んでいる。
これを受けて、来年度、北海道産のおよそ8割を占める加工用の生乳の価格は1キロ当たり一律10円引き上げられます。
廃棄して値上げって・・・・よくわからんシステムだよなああ。生産者も消費者も幸せにならない。

共産党のいう自由とは、共産社会へ至るという歴史の発展法則にしたがって生きる自由である。法則に従うことが自由と観念されている

ほんまかいな。どっかの俗説覚えているだけじゃないの?

志位さん不破さんら書記長とか他の有力な共産党員の引用ないと信じられんな・・・大丈夫か、最近の学者さんは。

 ちなみに、自由と必然についてエンゲルス

Anti-Dühring by Frederick Engels 1877

Freedom therefore consists in the control over ourselves and over external nature, a control founded on knowledge of natural necessity; it is therefore necessarily a product of historical development. The first men who separated themselves from the animal kingdom were in all essentials as unfree as the animals themselves, but each step forward in the field of culture was a step towards freedom. On the threshold of human history stands the discovery that mechanical motion can be transformed into heat: the production of fire by friction; at the close of the development so far gone through stands the discovery that heat can be transformed into mechanical motion: the steam-engine. 

マルクス。 

Karl Marx, Capital, III

Freedom in this field can only consist in socialised man, the associated producers, rationally regulating their interchange with Nature, bringing it under their common control, instead of being ruled by it as by the blind forces of Nature; and achieving this with the least expenditure of energy and under conditions most favourable to, and worthy of, their human nature. But it nonetheless still remains a realm of necessity. Beyond it begins that development of human energy which is an end in itself, the true realm of freedom, which, however, can blossom forth only with this realm of necessity as its basis. The shortening of the working-day is its basic prerequisite.


Freedom and the ‘Realm of Necessity’

Sean Sayers p270 ~in The New Hegelians Politics and Philosophy in the Hegelian School


In short, freedom is a matter of degree according to this conception. It ranges all the way from the unfreedom of instinctive and purely natural (‘animal’) activity, through different kinds of labour more or less immediately determined by need, up to the truly free activity of artistic creation........

 

....necessity, thus acquires an aesthetic aspect, a creative and free dimension....Conversely, as needs develop, free creative activity itself becomes a need. The expansion of needs increasingly takes in the requirement for self-expression and self-realization.

 環境と自身の一時的欲求に決定づけられている動物や原始的人間は不自由だが、人間は自然の法則を発見、認識、利用しながら、人間や環境を支配することでより自由になり、生産活動を通じて人間の欲求も拡大し、最終的には消費を目的としない創造=芸術的自由を欲求するようになる、そして、そうした社会では自由そのものが欲求として必要なもの(必然)になっていくのだ、と。


「アブドラ」については「へええ」だね。

Abdullah (name) - Wikipediahttps://en.wikipedia.org › wiki › Abd... · このページを訳す Abd Allah also spelled Abdallah, Abdellah, Abdollah, Abdullah , Abdulla , Abdalla and many others, is an Arabic name meaning "Servant of God"

アブドラ・ザ・ブッチャーも神の僕なんだ?「神の使いの虐殺者」みたいな。

神の「奴隷」とか「下僕」とか「使い」というのはキリスト教でもよく聞く話だよね。

"Servant of God" is a title used in the Catholic Church to indicate that an individual is on the first step toward possible canonization as a saint.

Live as free people, but do not use your freedom as a cover-up for evil; live as God’s slaves.

New Living Translation
For you are free, yet you are God’s slaves, so don’t use your freedom as an excuse to do evil.

自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行う口実として用いず、神の僕にふさわしく行動しなさい。

スペイン風邪のときも反マスク派がいて、マスクをするのは、鳥かごで虫を捕まえるようなものだ、とか言ってたとかいう記事を何処かで読んだような・・・・ ライフでポイントつくように200円単位以上買って、貯めて使うときにはちょっとお得な気分になる。




いやはや・・・・アゴラ関係の法律家は沈黙? 

 ちょっとググっても 

  同性婚認めぬ規定「合憲」、大阪地裁 札幌と判断割れる大阪2022年6月20日
同性間の関係にどのような法的保護を与えるかどうかは「議論の過程にある」とした。
同性婚訴訟、東京地裁が請求を棄却 憲法24条2項について「違憲状態」と判断 2022年11月30日 14時34分  
法制度が存在しないことは重大な脅威で、個人の尊厳に照らして合理的理由はない」とし、憲法24条2項に反する「違憲状態」との判断を示した。

 現状で同性婚認めぬのは合憲とした下級審でさえ、法的保護を与える立法することは認めている。

 同性婚支持派は異性婚と同じ制度でと言っているが、別枠で法的保護を与えよ、という人たちもいる。別枠で、という立場に対しては黒人差別について、”separate but equal" との主張に対する批判が適用されるというのが木村先生の主張だね。

 

すぐ「バカだ」とかいうのは池田さんの悪い癖。斉藤さんにせよ、成田さんにせよ海外では池田さんよりも認められている。だからといってどう、というわけではないが、しかし、一応の敬意は示すべき。


 

「自決」とか「切腹」という言葉は、日本語でも安楽死や世代交代のメタファーにはならない
メタファーにならないな。

これは、この間三橋さんの動画でも言っていたね。


政策金利(せいさくきんり、英: policy interest rate)とは、中央銀行が金融政策として定める金利のこと




マイナス金利政策


具体的には、日本銀行当座預金を「基礎残高」、「マクロ加算残高」、「政策金利残高」の3階層に分割し、基礎残高にはプラス0.1%の金利、マクロ加算残高には0%の金利、政策金利残高にマイナス0.1%の金利を適用する。

ということだったね。三橋氏の議論は基礎残高は変わらないから利払いと言っても、たいしたことない、と。さらにいまは政策金利がマイナスだからもっと減っている。 

 しかし、これがプラスになると。


 今のところマイナス0.1%という水準は変わらないが、これが上がると国債と逆鞘になり、日銀が本物の債務超過になる可能性もある

やばくね、というのが池田さんの懸念なんだろうな。

 ただ、素人からすると、「本物の債務超過になる」ようなこと、つまり、自分で自分のクビをしめるようなことを日銀がするのか?という疑問はある。

 




 

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