買弁/買辨 へええ。民主的正統性のない国際機関によるデモクラシーの制約(デモクラシーなきリベラリズム)の行き過ぎが国際機関への不信を高め、その不信が国内のポピュリズム(リベラリズムなきデモクラシー)のガソリンになるというサイクル、なるほど本邦ではこのパターンかという感じなんですよね。
— 河野有理 (@konoy541) April 16, 2022
とても危ういことをやっているという自覚がなさそうなのが溜息。
— mozu (@mozumozumozu) April 16, 2022
公共の場所におかれる作品に抗議するのは、おれはいいとは、思うんだよなあ。それも民主主義の一形態。
ただ、抗議の仕方、というかなあ、内容というかなあ。
おれとしては、
1)できるだけ、広告に男女いれてください。できれば、他の様々な性別、人種、障がい者を起用してください。
2)できるだけ、特定のグループと職業が固定観念的にならないようにしてください。
例)工事現場の労働者ー男 幼児介護者ー女 学者ー男
3)できるだけ、特定のグループと人相、体型が固定観念的にならないようにしてください。
例)東洋人ーツリ目 白人ー鼻高い 黒人ー唇が厚い
「性的に魅力的なキャラは避けてください」・・・とは言えないもんなああ。そういってしまうと現実の世界でも性的に魅力的な表現することが害悪のような誤解を与える。
「過度に性的、暴力的表現は不快に感じる人も多いので公共の場所ではなるべく避けてください。」・・・このくらいだなあ。
不快でも表現の自由でいいんだ、という人がいるけど、新宿ビルの3D広告でゲロ吐いてゲロがこっちにむかってくる(ー胃腸薬の)広告とか、サドマゾで吊るされている(ーSMクラブ)広告とか、戦場でメチャクチャになった死体の(ー反戦)広告とか嫌だろう?
やっぱ多くの人が不快に感じるものを公共の場所に表示すべきではない。ただ、「すべきでない」かどうかは民主的な抗議や議論で決めていくべきものなんだろうなああ、というのが俺の意見。
「たわわ」に関して言うと、「巨乳がユサユサしている一場面を描写することで、巨乳に視線を向けさせていますが・・・・人々ーー特に男性の注目させるにはあまりにも安易な表現ではないでしょうか?」くらいだなあ・・・一律に絶対的に「いけない」とは断言できないだろう?
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