授業でテキストにした芥川の短篇は「秋山図」(英訳版 "Autumn Mountains")で、たぶん10回くらい授業で使っています。大好きな短篇。青空文庫で読めますので、そちらでどうぞ。https://t.co/9MpaGpB45D
— Problem Paradise (@propara) April 13, 2022
「秋山図の話はこれだけです」
王石谷は語り終ると、おもむろに一碗の茶を啜った。
「なるほど、不思議な話です」
惲南田は、さっきから銅檠の焔を眺めていた。
「その後王氏も熱心に、いろいろ尋てみたそうですが、やはり癡翁の秋山図と言えば、あれ以外に張氏も知らなかったそうです。ですから昔煙客先生が見られたという秋山図は、今でもどこかに隠れているか、あるいはそれが先生の記憶の間違いに過ぎないのか、どちらとも私にはわかりません。まさか先生が張氏の家へ、秋山図を見に行かれたことが、全体幻でもありますまいし、――」
「しかし煙客先生の心の中うちには、その怪しい秋山図が、はっきり残っているのでしょう。それからあなたの心の中なかにも、――」
「山石の青緑だの紅葉の硃の色だのは、今でもありあり見えるようです」
「では秋山図がないにしても、憾むところはないではありませんか?」
惲王の両大家は、掌を拊一笑した。
小林秀雄の文章で似たようなのを読んだことがあったような・・・ 浅草かどっかで古い蓄音機でモーツアルトだかなんだか聞いているんだな。針も竹だかなんかで音質は著しく悪い。でも、その音楽ははっきりと彼の心のなかで響いていた、みたいな感じのやつ。
Autumn Mountain From Wikipedia
Themes Like many of his works, Autumn Mountain deals with the objectivity of truth.[2] The two friends do not know if the masterpiece ever really existed, but do realize that such a painting exists at least in the reality of their minds. Though the painting appears to be nothing more than a figment of imagination. However, Akutagawa comments on the nature of supreme beauty by asserting that ultimate beauty did exist, even if only in the observer's mind
Beauty is altogether in the eye of the beholder.
のように、必ずしも相対的、ということを意味するわけではないんだろうね。
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