和田春樹の仲間、羽場久美子は「どっちもどっちだから日本が仲介しろ」という。
— 池田信夫 (@ikedanob) April 9, 2022
「ウクライナにNATO軍が入ってくれば、のど元にナイフを突きつけられたも同然と言えるだろう。だからこそNATOの影響を排除するためにロシアは軍事侵攻に踏み切ったのだ」 https://t.co/1A3aQYfr7h
読んでみるとよくまとまっていると思うよ。
「どっちもどっちだから日本が仲介しろ」とは言っていない。そのウクライナにNATO軍が入ってくれば、ロシアそのものが張り子の虎になってしまい、のど元にナイフを突きつけられたも同然と言えるだろう。
「喉元にナイフ」というのは日本にとって朝鮮半島の比喩としてもよく使われる。軍事的、地政学的にはそんな感じ。だからといって、軍事侵攻してしまったら、
しかし逆に主権国家に軍事侵攻し、一時的に首都まで包囲したことで、ロシアは国際社会ですべてを失うことになるかもしれない。
すべてを失うことになるかもしれない、と。
ただ、
日本はロシアの隣国として、場合によっては中国とともに、平和と安定、主権尊重、即時停戦などを仲介できる位置にある。
仲介できる位置にあるとは言っているみたいだね。おれはできないと思う。日本がアメリカの子分であることは明らかだし、それだけの力もない。
日本ができることは難民受け入れ、欧米と同調した経済制裁、何年か後かわからない戦争終結後の再建支援だろうね。
ちなみに、
今回、欧州・アジア・アフリカの3大陸をつなぐ地域に広大な領土を持つウクライナがNATOに入れば、ロシアは身動きが取れないまま我慢するか、西欧化する以外に道はなくなる。
「身動き」ってなんなのか、と思うね?
自由、民主主義、法の支配を受けいれるのはロシアの権力者や富裕層は困るだろうが、国民のためにもなった。それでいてロシアらしさを発揮しつつ、欧米の偽善を告発していく道をとるべきだった。これはこれからの中国に関しても言える。
【徹底解説】ウクライナでロシア語話者は差別を受けているの?
2022/04/08
橋下徹さん他、ウクライナ案件で露呈した戦争で的外れな見解をする人々の共通項|奥山真司の地政学「アメリカ通信」
2022/04/09
鳥越氏のコメントは論外。
橋下氏の「戦争は交渉の一部ではない」という発言については、
"War is a mere continuation of politics by other means. " (Clausewitz) という言葉も思いつかなかったのかな、とは思う。
また、橋下氏の政治的妥結の具体案については、「???」のものが多いが、しかし、論争の端緒となった「一般国民は逃げろ」というのは別に間違っていない。
いや、国民に逃げる権利はない、国民総動員法を立法すべきだ、というならそういう主張をしてほしい。
「ウクライナ戦争を1日でも早く止めるために日本政府は何をなすべきか」 ロシア史研究者有志が声明発表 専門的見地から行動提起
社会2022年3月29日
「ウクライナ戦争の戦況をテレビで眺め、防衛庁の専門家や大学の軍事専門家の解説を聞いていると、ウクライナ頑張れ、ロシア軍を押し戻せ、プーチンを潰せと叫ぶ以外に別の意見を持てなくなってしまいます。戦争は一日も早く止めなければならず、そのためには即時停戦を両軍によびかけ、停戦会談を本格的に開始するように求め、必要ならば、仲裁者、仲介者になって、停戦合意を導く必要があります。 日本は憲法によって国際紛争のために武力による威嚇、武力の行使をおこなうことを放棄した国なのですから、停戦プロセスに積極的に参加すべきです。停戦と停戦の仲介を求める声をあげることが必要です」。「ウクライナ頑張れ、ロシア軍を押し戻せ」というのは間違っていない。これと同時に、しかし、被害、損害を食い止めるために、即時停戦は必要。
ただ、この人達には、現実的な提案がない。共産主義者といっしょで「こういうことがあったらいいな」というところまではいいのだが、現状、現実を見ていない。中国やインドが仲介に入ったらいいだろうが、現実をみるとやる兆候はない。それは、彼らにとって国際正義の実現が最優先項目ではなく、自国の利益が優先されるからだ。
「こうあればいいな」「こうあるべき」「こうなってないのはおかしい」という批評はできるだろうが、現実の世界で役にたたない。
ちなみに想田和弘氏が引用している週刊金曜日の記事も読んでみた。オランダ、デンマーク、ノルウエーなどで民衆が非武装抵抗を続けた、というのだが、そういう人もいたかもしれないが
ノルウエーでは、ユダヤ人は殺害され、ある者は武装したレジスアンスに加わり、国外での自国の軍隊を終結、最後はソ連などの侵攻により解放される。
占領中にナチに協力したものもいた。占領中の生存を最重要視すればそれも合理的かもしれない。
しかし、犠牲を最小限にするのも必要だが、同時に自分たちの自由と民主主義を護るのも大事なのであって、やはり、それには命は賭さなければならいときもあるのである。
自国側の戦力と他国側の戦力の格差を考慮にいれながら、自由と民主主義と国民の命と領土を守るのにどうやってどこまで戦うか判断していくべき。
自由を守るのに犠牲をともなうことはあるが、しかし、絶滅してしまっては元も子もない
軍事的弱小国が攻めてきて、簡単にとっちめられるのに武器で戦いたくないとして自分たちの自由をあきらめるのは愚かであろう。
逆に自分たちは丸腰で誰も助けてくれる見込みもない場合に、デス・スターみたいのに攻められたら・・・白旗あげて奴隷のようになるのもしかたがないかもしれない。
普通はその中間にあるわけで、どこまで戦ってどこで妥協するか、そこが難しいところだが、国民の命を重要視するのは当たり前の話。
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