ミアシャイマーの攻撃的リアリズムに規範的含意は本来ないはずなので、規範的主張をすること自体が自家撞着である。要するにいいうるのは「✕✕は愚かだった」だけであって「✕✕は間違っていた」とは言い得ない。https://t.co/QY66xUkvBq #東洋経済オンライン @Toyokeizaiより
— 稲葉振一郎 (@shinichiroinaba) April 4, 2022
おれが思うには”responsible" の意味の多義性にもよると思うんだな。記述的分析なのか規範的主張なのかときどき不透明になるのが氏の発言の特徴。
— mozu (@mozumozumozu) April 4, 2022
responsibleってのは、
1)
having the job or duty of doing something or taking care of somebody/something, so that you may be blamed if something goes wrong
2)
being able to be blamed for something
3)
being the cause of something
4)
reliable
責め/非難を負う、という意味と何かの原因になっている、という意味があるわけで、これは2つ重なるんだけど全面的に重なるわけではなくて、前者は主に倫理的な意味で、後者は・・まあ、記述的な意味なわけだよね。
(学生のころ、たしか、哲学の先生に習ったような・・・違ったっけな・・・ああ、「原因」の意味だな・・・「原因」の意味がもともと「なにか惹起する make it happen という意味と 責めを負う be to blame be responsible for という意味があるんだ、と習ったんだ・・・ハイデッカーのギリシャ哲学の解釈かなにかで・・・なるほどと思った覚えがある・・・)
それはいいとして、ミアシャイマーの言葉でいうと、
2022年3月3日木曜日.”when push comes to shove, strategic considerations overwhelm moral considerations. ”
Realism misses the power value of norms.
戦略的な観点と倫理的観点の違いってことになるのか?
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