2022年5月19日木曜日

Taming Nationalism

2022年5月16日月曜日 Libertarian socialism 


 この動画の12:15分くらいで自由社会主義の核心は何か、と聞かれて、市民が秘書や清掃員や財務などの特定の職業に固定されないで、その社会、経済活動や意思決定に全面的に参加していく社会だ、みたいなことを言っているーーー なんかとても懐かしい感じがしたんだよなあ。


 廣松渉. 今こそマルクスを読み返す (講談社現代新書) (pp.185-186). 講談社. Kindle 版.
彼(エンゲルス) も、 社会 の 全員 が、 全 業種・全 職種 を 輪番 制・当番制 で 勤める と いう ほど 非 現実的 な こと は 要求 し ませ ん。 が しかし、 一人 の 人物 が 一生涯、 一定 業種 の 一定 職務 を 分掌 する という よう な 職業・分業 の 属人 的 固定 化 は 廃止 し なけれ ば なら ない し、 将来、 人々 は〝 全人的 に 開花〟 し 多様 な 職務 を こなせる よう に なる で あろ う と 彼 は 予見・期待 し て おり ます。   社会的 生産力 の 水準 が 低い 歴史 段階 では、 分業 が 属人 的 に 固定 化 さ れ、 各人 が スペシャリスト に なる こと が、 必要・必然 で あっ た が、 生産力 水準 が 上がり、 そう ガツガツ と 経済的 効率・経済的合理性 を 第一義 に する 必要 が なくなっ た 暁 には、 固定 化 さ れ た 分業 の 廃止 が 可能 に なる、 と 彼 は 考え ます。 属人 的 に 固定 化 さ れ た 分業 体制 を 廃止 する よう に なら なけれ ば、 身分 的・階層 的 な 差別 構造 が 再生産 さ れる、 と エンゲルス は 考え た 次第 なの です。

やっぱ廣松なんだよなあ。こういった社会は憧れたよなあ。

 チョムスキーやバクーニンは共産主義の強権を警戒したが、

  共産主義 社会 を 形成 する ため には、 まず 政治革命 で 国家権力 を 握り、 プロレタリアート 独裁 という 過渡期 を通じて、 下部構造 を 変える 社会革命 を 推進 し、 以 って 旧体制 の 復活、 旧 国家 権力 の 復興 の 根 を 絶つ こと が 必要 です。 その よう に し て、 階級 的 分裂 が 存在 し ない 状態、 つまり、 階級国家 が 必然的 に 形成 さ れ なく なる 状態、 これ の 実現 を 待っ て ようやく 国家 の 廃絶 が 可能 化・現実 化 する 次序 となり ます。   プロレタリアート の 政治的 指導 部 が 政治権力 を 掌握 する 政治革命 が 成功 し た 場合 でも、 下部構造 は まだ 旧体制 の まま 残っ て おり、 旧来 の 支配階級 で ある ブルジョアジー が 物質的 勢力 基盤 を 維持 し て おり ます から、 彼ら は 強い 反抗 力 を 保持 し て おり ます。 そこで、 今や 政権 を 握っ て いる プロレタリアート との あいだ に 激烈 な 階級闘争 が 継続 さ れ ます。 旧 支配階級 と それ に 同調 する 分子 たち の 政治的・経済的・社会的・思想 的 な 挑戦 を 粉砕 する ため にも、 強力 な 権力 的 支配 が 必須 で あり、 旧 勢力 の 物質的 基盤 を 解体 し て 新しい 生産関係 で 置き換える ため にも 上 からの 強権 的 介入 が 必要 とさ れ ます。 プロレタリアート は 人口 中 の 多数 者 で ある に し ても、 旧体制 に 内在 化 し て いる 部分 が 実際 には 少なく ない こと です し、 革命的 意識 に めざめ て いる 部分 でさえ 今 まで 下積み だっ た ため、 新 秩序 を 嚮導 する 能力・技能 を 全員 が 身 に つけ て いる わけ では あり ませ ん。 そこで、 やむをえ ず、 当初 には 比較的 少数 の 自覚 的・指導 的 分子 が 独裁的 体制 で 反革命 分子 を 抑圧 し つつ、 広汎 な プロレタリア 大衆 が 新 支配 者 たる に ふさわしく 成長 する のを 促進 し ながら 待つ こと、 これ を 余儀なく さ れる 次第 です。 (pp.223-224). 講談社. Kindle 版.
反革命分子と形容して一般庶民の自由まで抑圧してしいまうような、怖い部分はあるよなああ。

 それと、この前読んだミアシャイマーのThe great delusion との関係でいうと、 

 Socialism very short introduction p34

 

It was generally understood that all the parties shared the view that the workers had no country because their common enemy was capitalism. Hence all of them agreed – in theory – that they would be totally opposed to a capitalist war. None of them, it was constantly asserted, would support their own governments should such a war break out. In reality, most of them did just this in 1914.
社会主義ーーあるいはリベラリズムでもそうだけどーー、ナショナリズムと競合するとナショナリズムが勝っちゃうんだよなあ。 

 無政府主義者のバクーニンについても
アナキズムの歴史を研究するマックス・ネットラウは、バクーニンの汎スラヴ主義を、民族主義という逃れがたい病の発現であると記した。
と言われている。

フェミニズムにしても、例えば、米軍性奴隷問題について韓国や米国のナショナリズムに完敗だしなあ・・・・

 人間が社会的、民族的動物である限り、ナショナリストであることはやめられないが、しかし、過激にはしらないように、うまく付き合っていく必要はある。

 Taming nationalism とかいう本をだれか書かないかなあ・・・・ググるとそういうあるみたいだけど・・・・ミアシャイマーかウォルトに書いてもらいたいね。


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