2022年5月1日日曜日

仏教界は今日の戦争に対していかなる態度をとっているのか?

鈴木大拙がねええ、と思ってググると、 


 さて本論に戻って、『霊性的日本の建設』所収の二篇の中、戦時中に書かれた第二篇「日本的霊性的自覚」から三つの節を引用しよう。


「云はなくてもよいやうで、やつぱり云つておく方が、何らかの誤解を防止する役に立つだらうと思ふことがある、― それは此で 云ふ<日本的>には絶対に政治的意味のないことである。……政治はいつも力である、威力、権力、圧力の源泉である。霊性にはそのようなものはない。それは 徹底的に大悲である、大慈である、誓願である、無辺無尽の悲願である。力はその中から出てくる。その中から出た力でないと、力は必ず暴圧的なものになる、 排他的自尊心となる、帝国主義、侵略主義、兼併主義など云ふあらゆる歪曲性を持つた力の行使となる。活人剣で裏付けられぬ殺人刀ほど非道なものはないので ある。政治から決して霊性的自覚は出ない。政治は霊性的自覚から導き出されなくてはならぬ。その逆は嘘である。必ず崩壊と収拾不能を伴ふものである。殷鑑 遠からず、ドイツを見よである。」(28)



この一文は、昭和二十年(1945)八月十五日の無条件降伏直後に草されたものである。鈴木大拙という人がこの戦争をどう見ていたかがよく解るので、少々長くなるけれども引用することにする。


「満州が兎に角片付くと、北シナに乗り込んだ。満州だけでは日本の生存が経済的に確保できない、どうしても北シナへ進出しなけ ればならないと云ふのである。北シナでも調子よく行つたので、これを天皇陛下の御稜威と云つた。陛下にとつてこれほど迷惑なことはなかつたと信じてよい。 <御稜威>は、文殊菩薩の活人剣の如く、又不動明王の降魔の剣の如くでなければならぬ。満州でも北シナでも、此種の剣を、日本軍は使用しなければならなか つたであろうか。彼等は吾等に対して何らの危害を加へるものではなかつたのである。……如何にも露骨な侵略的武断的帝国主義の肯定に外ならぬ」(36)


「北支から中支、南支へと、所謂<聖戦>なるものが拡大された時、吾等国民一般には、何の拡大であるか、全く五里夢中であつた。軍閥と財閥が只勝手に勢に任せて南下するものとしか考へられなかつた。それから南京における非人道的な残虐行為 ― 国民には全く隠蔽せられて居たが、外国へは筒抜けに知れて居た其暴虐無比な行為 ―、何のためにそのやうなものが<聖戦>付加物となり、<皇軍>の是非やらなければならぬ行為であつたか、国民には全くわからなかつたのである。」(37)


「愈々終局になつてから、国民は鳶に油揚でもさらはれたやうに、只茫然としているのが精精であつた。少し気がつくようになる と、官僚は国民総懺悔だと叫ぶ。国民は何を懺悔してよいのか全くわからぬ。深い情性から出た懺悔なら、日本人だけがすべきでない、全世界の人類、勝者も敗 者も、共に心の底から懺悔すべきである。それを敗者のみの懺悔とは何の事か。特に指導者なるものに、左向けと云はれて左向き、右向けと云はれて右向いた国 民は、何を自分の罪業として、それを悔ゆべきであろうか。懺悔すべきは、今まで戦争をやつた、さうしてやらせた人達 ― 軍閥・財閥・官僚・重臣・上層階級の人達 ― ではなからうか。」(41)

 ーーー積極的に太平洋戦争を支援したわけではあるまい。

 ただ、沢庵坊主の不動智神妙録にあるように、剣と禅一致みたいなこともいわれ、禅と武が親和的であったのもたしかーージジェクのいうコスミックダンスの剣への応用ーーだし、武の行使に対していかなる態度をとるのかはっきりしてこなかった仏教徒が多いのも確かであろう。

 上記の大拙の文章からすると、侵略戦争は駄目で、自衛戦争なら許されるという立場をとっていたようにも思える。

 大悲の立場からは、原始仏教の説くが如く、不殺生で、

2021年11月25日木曜日

富楼那 Puṇṇovāda-sutta

 絶対的非暴力主義のほうが素直な気もするが、侵略戦争や暴虐戦争を抑止、制止するための正戦という概念が導き得ないわけでもない。
それなら、それで仏教としてしっかりとした立論をすべきであろう。

(sutra 経典 仏教)



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