そして、日本を声援しても相手の健闘も祈る、ということと矛盾しないどころか、スポーツの精神にも武道の精神にもかなっている。
また、過去にユダヤ人を大量虐殺した国家のサッカーチームだとして、「不信や敵意や不快感を」もち、罵倒する自由もあるし、逆に、それでも、応援する自由もある。
日本に負けてほしいと表明する自由もある。
しかし、日本チームだという理由で、あるいは、母国のチームだという理由で負けてほしいと思う人たちに政治を担ってほしくはないわなあ。
健全な自国批判の枠を飛び越えている。
多くの共産党系の人々が持つ感覚というのは愛国主義の裏返しの憎国主義のようなものだね。自国のナショナリズムを警戒するまではよかったが、反動でこれまた極端に走ってしまった。
弱者に対する支援には共鳴するもののそれも考えてみれば日本の政権批判のためだけの活動なんだろうな。米軍や韓国軍の性被害者の救済には押し黙っているしな。
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