消費減税の訴え「間違いだった」 立憲・枝野氏、公約見直しに言及 朝日新聞社 2022/11/13
映画的にしっかりしているのはBack to the future だろうな。Texas Chainsaw Massacre
— Guardian-reading wokerati (@suzuky) November 13, 2022
Jaws (1975)
The Exorcist (1973)
Annie Hall (1977)
“Some people could say Young Frankenstein, which I can understand” (1974)
Back to the Future (1985)
The Wild Bunch as a possible contender, but no, ... https://t.co/sXcKQ7muTb
日韓首脳会談に右派が発狂しているが私は良いと思う。我が国にとって最重要課題は中国で、日本がウクライナのようにならないためには日米韓の連携が重要だ。韓国はウザいが攻めてはこない。徴用工問題が未解決だからといって意地を張って対立するより、保守政権のうちに関係を改善しておくのが賢明だ。 pic.twitter.com/O7CxGaVeMF
— H.S. Kim (@xcvbnm67890) November 12, 2022
会談と懇談では日韓両国の国旗を掲げないなど形式上の違いがある。日本政府として「元徴用工問題で進展がなければ会談はしない」との立場をとってきた。「ば韓国」などと言うほうがおバカだと思うが、わたしは、良くないと思う。
これはあったら便利だね。「クレカ乗車券、全国で風穴 JR九州が訪日客対応へ実証」 https://t.co/vzEdhEeVvd
— H.S. Kim (@xcvbnm67890) November 12, 2022
良い試み。海外ではクレジットカード決済が圧倒的に多い。コンビニ・改札口など日本はタッチターミナルが浸透しているので、電子マネーやQR決済よりVisaタッチに支払いを統一すれば便利で決済がスピードアップする。
こういう風にテロリストに感情移入して、殺人を正当化するマスコミが「第二の山上」を生み出すのだ。
— 池田信夫 (@ikedanob) November 13, 2022
殺人は絶対悪であり、山上にもオウムにも大義を与えてはならない。 https://t.co/dTLZg2JBoW
こういう風にテロリストに感情移入して、殺人を正当化するマスコミが「第二の山上」を生み出すのだ。別に感情移入もしていなければ、正当化もしていない。
殺人は絶対悪であり、山上にもオウムにも大義を与えてはならない統一教会の悪の告発は、山上の殺人がなくてもすべきもの。
池田信夫 blog : 資本主義は「剰余」を生み出して破壊するhttps://t.co/JaOzGNSqNV
— 池田信夫 (@ikedanob) November 13, 2022
バタイユの資本主義について
バタイユ入門 酒井健 p104この論文でのバタイュの主張を要約すると以下のごとくになる。 人間の生の真の目的が非生産的な消費(例えば奢侈、葬儀、戦争、祭典、豪奢な大建造物、 遊戯、見世物、芸術、生殖目的からそれた性行為)にあるのにもがかわらず、近代の西欧社 会は生産と蓄積という人間の生にとっては手段の地位にある活動ばかりを重視してきた。 消費が肯定されてもその消費は生産に貢献する消費でしかなかった。こうした近代の西欧 を指導してきたのはブルジョワジーであるが、これに敵対するプロレタリアートの内部に は破壊転覆の力が沸騰している。この力はまた「強制力(force contraignante)」でもあっ て、社会に対し階級間の闘争を劇的な動乱として展開するよう差し向ける。この階級闘争、 プロレタリアート革命こそは社会が実現しうる最も壮大な非生産的消費なのだ。 ざっとこのようなことが語られている・・・・バタイユ 消尽 湯浅博雄
工場の外、作業現場を離れたところでは、労働者大衆・下層庶民は、「同質的な」人間たちにとって は一種の〈異邦人〉、「別種の」人間だ。規範や法に従うとは限らない人間、「合理的に考えて」行動す る仕方からすぐに逸脱しやすい人間、なにか荒々しさをおびている人間だ。 バタイュの見方では、資本制生産(流通・消費)過程が安定して拡大する限り、こうした〈同質性〉 は揺るぎなく保たれる。つまりそこから排除された部分、マルジナル化されたエレメントは抑え込ま れたままだ。しかし大恐慌による資本主義経済の破綻、大混乱は、社会の〈同質性〉が揺らぎ、亀裂 を受け、分解する危機をもたらした。これまで排除されつつ(欺臓的に)同化され、抑え込まれていた 部分、〈異質的なェレメント〉は、もう尺度を受け入れることを拒み、変化を求めて沸騰し、揺れ動く。 この危機に敏感に反応し、「克服」しようとする運動の一つがファシズムだ。むろんもう一つは、「共 産主義」的な革命運動である。
戦争について p34
生産活動によって生じた〈富〉を、人々はどういう原則に従って消費したのかを、深く探っていく。 〈聖なるもの〉に触れる経験を第一義的に重視する社会、宗教性が優位を占め、供犠や祝祭(およびそ れを継承するもの)において〈富〉を「非生産的に」濫費する社会は、ある意味では「停滞」するが、 その「過剰な」力を内的に消尽するので、外部へと向かって暴力性をふるうことはない(むろん原理的 には、の話だ)。それに対し、〈富〉を「きわめで合理的に考えて」消費し、その多くを蓄積し、再生産 の拡大を最優先してそのために投入する社会は、たしかに「躍進」するが、しばしばその力の余剰を 「暴力性へと組織し」、さらに〈富〉を獲得しようとして外部へ向かう。
社会批評としては面白いんだけど、社会改革の具体的新たな方向性は示せなかったんじゃないかなあ、バタイユは。
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