わたしは、橋下氏の支持者でもなければ、敵対者でもない。そもそもそれほど興味のあるコメンテーターでもないが・・・ツイッター界隈の橋下論争はよく理解できない・・・ それはともかく橋下さんのように自分の命が何よりも大事で、戦争が起こったら逃げる人ばかり集まった国は亡びる。ほとんどの国は、それで滅びた。
— 池田信夫 (@ikedanob) July 5, 2022
デモクラシーは「命より大切なものがある」と信じる人の集団だったから生き延びたのだ。https://t.co/lxb2Y3VTV5
レビュー
本文
本文の方は飛ばし読み・・・まあ、面白い。
民主主義といえば、西洋と思われているが、平等な人々が自分たちのことを決める民主主義なんてのは世界中の小さな村社会や海賊社会では、わりにどこでも実践されていた。
民主主義と「西洋」を連結させて威張っているのは「西洋人」の神話
民主主義と国家は反りがあわない。国家とは強制力を独占するものであるが、アメリカなどでは、平等な人たちによる統治はむしろ混沌、混乱を招くものとして忌み嫌われていた。いまでも衆愚政治、民衆裁判とかいって恐れられる場合がある。
ーー「西洋」崇拝の人たちはぜひ読んでおいてほしい。
ところで、
Aristotle, in his Politics, remarks that the constitution of a Greek city-state will normally depend on the chief arm of its military: if this is cavalry, it will be an aristocracy, since horses are expensive. If hoplite infantry, it will be oligarchic, as all could not afford the armor and training. If its power was based in the navy or light infantry, one can expect a democracy, as anyone can row, or use a sling
国際社会にあてはめると面白いと思うんだけど、武力を持ったものーー国際社会なら国ーーの発言力が大きい、わけですよ。
平等な国際社会をつくるために各国に核武装させよ、みたいな意見を誰かが言っていたような・・・・・
Throughout this essay, I’ve been arguing that democratic practice, whether defined as procedures of egalitarian decision-making, or government by public discussion, tends to emerge from situations in which communities of one sort or another manage their own affairs outside the purview of the state. The absence of state power means the absence of any systematic mechanism of coercion to enforce decisions; this tends to result either in some form of consensus process, or, in the case of essentially military formations like Greek hoplites or pirate ships, sometimes a system of majority voting (since, in such cases, the results, if it did come down to a contest of force, are readily apparent).
強制力を排除した無政府主義ってのもある程度小さな村社会だったら可能だろうけど、大規模になると国家的な強制力は必要になるんじゃないかなああ・・・・無論、その強制力や権力が誰・・・富裕層、権力者・・・のために使われているかの監視は常に必要
そして、ある社会にそうした強制力がなければ、強制力・軍事力をもった他の国家に市民の自由を蹂躙されるだけ。
それはともかく、アメリカってチョムスキーにせよグレーバーにせよ、無政府主義者っているんだよなああ。
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