2022年12月1日木曜日

eschaton

    


Creating Christ: How Roman Emperors Invented Christianity
 非常に面白い。



The main points of the books can be summarized as follows. Christianity was a conscious, and politically determined invention, similar to the creation of the official state-cult of Serapis by the Ptolemies. The Gospels and the other writings of the New Testament should be properly regarded as a product of the Flavian propaganda ( CC , p.289: ... The New Testament is imperial Roman propaganda designed for a brief political reality ...). They were created as a reaction to the activity of the rebellious Jewish movements inspired by the anti-Roman “militant messianism” which posed a threat to the social and political order both in Palestine and in Rome

当時ユダヤの過激派をやっかいと思っていたローマ帝国は、キリスト教を作って対抗しようとしたんだ、と。

キリスト教の愛他主義とか、頬を殴られたらもう片方の頬を差し出せ、とか、貧しきものは幸いなり、とか、ユダヤの王国はこの世ではなく、あの世にある(ーこの世にあればローマー帝国のじゃまになる)とか、あるいは、ローマ人の信徒への手紙 13 とか、
支配者への従順 1人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。 2従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。 3実際、支配者は、善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です。あなたは権威者を恐れないことを願っている。それなら、善を行いなさい。そうすれば、権威者からほめられるでしょう。 4権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです。しかし、もし悪を行えば、恐れなければなりません。権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです。 5だから、怒りを逃れるためだけでなく、良心のためにも、これに従うべきです。 6あなたがたが貢を納めているのもそのためです。権威者は神に仕える者であり、そのことに励んでいるのです。 7すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい。

支配者には非常に都合のいい思想である。 

話しを聞いていると「なるほどおおおお」と納得したくもなるのだが、他のインタービューで質問がでていた。

 


Creating Christ: How Roman Emperors Invented Christianity (Part 2) 

ローマ帝国って、ネロとか、キリスト教信者を迫害していなかったか?と。いや、あれはキリスト教徒というより、キリスト教過激派みたいなもんなんだ、という。
ググると


 Nero himself blamed the fire on an obscure new Jewish religious sect called the Christians, whom he indiscriminately and mercilessly crucified. During gladiator matches he would feed Christians to lions, and he often lit his garden parties with the burning carcasses of Christian human torches. Yet there is evidence that, in 64 A.D., many Roman Christians believed in prophecies predicting that Rome would soon be destroyed by fire. Perhaps the fire was set off by someone hoping to make the prediction come true.



Tacitus described Christianity as a “pernicious superstition” and the Christians themselves as degraded and sordid. However, no ancient writer suggests that these Christians were persecuted for their faith alone. They were charged with committing the crime of arson.

The Romans were horrible, bloodthirsty people in many ways. But the treatment of Christians by the Roman imperial state was more complex than we might at first think. Persecution of Christians was carried out on the local level, and usually initiated by provincial mobs.

Death – particularly by lions – was not an inevitable punishment, and not restricted to Christians. Universal edicts of persecution were only issued on specific occasions in the third and early fourth centuries A.D. They were a result of the emperors trying to reinforce traditional Roman religion in increasingly unsettled times.

ローマ大火で、放火者はキリスト教徒ではなかったのか、という説もあるし、いずれにせよキリスト教徒だから迫害されたのではなく、皇帝はキリスト教徒に限らず誰にも残酷だったんだ、と。


ここらへん、おれは歴史に疎いから評価のしようがない。

引用したレビューの著者も懐疑的である。

ただ、キリスト教の捉え方がおもしろかった。


 ニーチェはキリスト教は弱者のルサンチマンの宗教で、力で反抗できない弱者が価値転換で強者をひっくり返すためのもので、つまりは、弱者のための宗教だ、みたいな捉え方するんだけど、この人はキリスト教は強者、支配に都合のいい宗教とみるわけですね。なんの反抗もしない、貧乏のままで、心の底から従順で税金もしっかり払ってくれる・・・こんなにいい臣民はいない、というわけですね。


Marketing the Messiah | Christianity | Documentary | Bible | Jesus | Faith | New Testament | God 

 これもめちゃおもしろかったなあ。イエス・キリストは実在の人物ではない派からのドキュメンタリー 長いが、結論は1時間36分あたりから

 イエスの物語の文脈として、シーザーの息子のアウグストゥスがいる。シーザーは殺害された後、神に祭り上げられたが、その息子のアウグストゥスは神の子とよばれ、戦争を終結させたので救済者とも呼ばれた・・・当時の人達はこの手の物語に慣れていたわけだね。
  ユダヤ人は侵略されローマ人に征服されていたが彼らの神であるヤハウェは沈黙。本来、神は救済者を送ってイスラエルの民を救ってくれるはずだった。

 ただ、救済者がどんな属性をもっているのかについては定見がなかった。

 ところで、イエスはヘブライ語では、「ジョシュア」であり
The name Joshua is primarily a male name of Hebrew origin that means God Is My Salvation.


 その意味は救済者。したがって、イエス・キリストとは救済者・救済者という意味。
 当時救済者と呼ばれる人たちは何人かいたが、みな殺害された。イエス・キリストはローマ人を蹴散らすわけでもなく、ユダヤ人が望んでいた救済者として受け入れられるはずもなかった。
 そこで、「救済者」の意味を変えて、宣教をジェンタイル=非キリスト者たちにも広めることにした。当時さまざまな神々がいたが天国に行けるとするキリスト教は受け入れられる余地があった。

 そこで決定的な役割を果たしたのがパウロ。パウロはイエスに出会ったこともなく、キリスト教徒を迫害していたがある日イエスの霊に邂逅して改宗。

”I'll be back"

 イエスは十字架に死んだが、復活、さらに近い将来、死人を復活させ、あらゆる敵を滅ぼす存在とされた。

 割礼の義務をなくしたこともユダヤ人でな人たちへの宣伝・宣教に役立った。

11 兄弟たちよ。わたしがもし今でも割礼を宣べ伝えていたら、どうして、いまなお迫害されるはずがあろうか。そうしていたら、十字架のつまずきは、なくなっているであろう。
12 あなたがたの煽動者どもは、自ら去勢してしまうがよかろう。

 パウロは、イエスが病人を治癒したとか、水の上を歩いたなどのイエスの奇跡については言及しなかった。 





主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。 


 パウロは終末は近いと説いた。
 
 彼の生きているうちに終末がくると説いたが、終末が来る前に刑死し、ユダヤ戦争がおきた。 多くのユダヤ人が死んだが、救済者は現れなかった。

パウロによって新約聖書の文書が書かれたのは、いつか、ググると 



 こんなかんじ。

 この後、最初に書かれたのがマルコによる福音書。 AD70 年ころ。この福音書もイエスを目撃した人が書いているわけでもなく、また、目撃した人を知っている人が書いたものでもないんだ、と。

 さらに、新約聖書は12使徒によって書かれたものはひとつもないんだ、と。 PeterペトロJamesヤコブによる手紙とされるのものもあるが、それは他の人によって書かれたものであろう、と。

 裁判で盗人バラバとイエスを選ばされる話がでてくるが、





「どちらのイエスの釈放を望んでいるのか? アッバスの子のイエスか? それとも、メシアのイエスか?」という読み方ができる。
と。これは、レビ記16アザゼル)に出てくる生贄の羊を踏襲している。
 暴力的な救済者と平和的な救済者 ユダヤ人は暴力的救済書が解放して平和的救済者に罪をなすりつけたことにしたんだ、と。



 eschaton エスカトン〈文〉〔キリスト教神学における〕終末

マルコの福音書でも終末は近い、ことになっていた。

 マタイによる福音書 マルコの福音書に基づいて書かれている。12使徒がマルコによる福音書を参照する意味がないので、12使徒のマルコとではない、と。
 AD 80-90年。幼児虐殺 など事実かどうか疑わしい話が追加される。処女受胎にはじめて言及 イザヤ書で、Almahに子が授かるとヘブライ語にあるのだが、その意味は「子がない」という意味だが、ギリシャ語で「処女」と誤訳されたのではないか、と。
 
 マタイも終末は近い、と。しかし、イエスはまだ、降臨しない。

 ルカによる福音書  マタイの10-30年後  キリスト教徒第2世代 パウロの人間的記述から理想化されたものへ。

 彼も終末がすぐ来ると。

 ヨハネによる福音書 AD100-110 マルコ、マタイ、ルカとは毛色がまったく異なる。譬え話も、山上の訓戒も、最後の晩餐もない。

 終末はすでに到来している、と。

        
18 子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る。
 これらの福音書以外にも多くの福音書があったであろうが、抹消されている。ただ、トマスによる福音書はエジプトで発見された。イエス・キリストは小さい時から超能力者で気に入らない人たちを殺したり、盲目にしたりしていた。この福音書は教会に採用されなかった、と。

ーーー要するにイエス・キリストの死後十数年後にイエスを見たこともないパウロが霊感を得たとして救済者の話を非ユダヤ人たちに宣伝し、その後ユダヤ人の大量虐殺があってから、イエス・キリストを直接は知らないし、知っている人を知らないようなパウロ派の誰ともわからない人がイエス伝記を書き、その後もそれをもとにイエスの伝記は編集、追加、変容されていく。

  この動画の作成者はイエス・キリストはイエス・キリストは、アーサー王と同じで実在が怪しい、とする立場。

 イエス・キリスト非実在説とすれば、存在した、という証拠がなさすぎる。

p18

例えば、ジュリアス・シーザーが存在した、というのは
1)シーザー自身による記録
2)シーザーの敵による記録
3)シーザーのコインなど物理的証拠
4)歴史家による記録
5)シーザーが行ったことによる帰結 ローマ内戦

からわかるが、イエス・キリストの場合、イエスによる記録もなく、弟子による記録もなく、物理的証拠もなく、第3者の記録と言っても、



(p32 Nailed: Ten Christian Myths That Show Jesus Never Existed at All David Fitzgeral)

こんな感じである。

イエスに最初に言及したフラウィウス・ヨセフスでも、

さらに95年ごろ、天地創造からユダヤ人の歴史を説きおろした、スケールの大きな『ユダヤ古代誌』も完成させた。『ユダヤ古代誌』18巻63には「フラウィウス証言」と呼ばれるイエスに関する記述があることで有名であったが、キリスト教徒側で保存されていた文書であったことから、後世の加筆の有無が問題となっている。

 こんな感じで、しかも、イエスの死後何十年後にかかれている。あれだけの奇跡を起こし、 地域の話題になったはずのイエス・キリストの記録が同時代にはないのである。

 そして、

The Pagan Origins of the Cross


By Abdullah Kareem

 
(Orpheus crucified)

Osiris-Dionysus is God made flesh, the saviour and 'Son of God'.
His father is God and his mother is a mortal virgin.
He is born in a cave or humble cowshed on 25 December before three shepherds.
He offers his followers the chance to be born again through the rites of baptism.
He miraculously turns water into wine at a marriage ceremony.
He rides triumphantly into town on a donkey while people wave palm leaves to honour him.
He dies at Eastertime as a sacrifice for the sins of the world.
After his death he descends to hell, then on the third day he rises from the dead and ascends to
eaven in glory.
His followers await his return as the judge during the Last Days.
His death and resurrection are celebrated by a ritual meal of bread and wine which symbolize
is body and blood.(The Jesus Mysteries: Timothy Freke・ Peter Gandy)

 神の子、処女受胎、奇跡、十字架、復活・・・などなど新約聖書のモチーフはキリスト誕生以前に多く散見されるものであった、と。

 
 以上のようなものが、イエス・キリスト非実在説であるが、たぶん、欧米では、少数派。

 聖書に関しては歴史的に巨大な量の書籍があるから、おれなんかがなにか言えたものじゃないけど、しかし、おれなんかはやっぱこっちの少数派を支持したいな。

 要するに救済者民話の一つ。

 「桃太郎」や「鶴の恩返し」など実際に起きたことではなくてもそこから教訓や人間に関する洞察は得ることができる。非キリスト教徒からするとそれでいいんじゃないか、と思うけどねええ。
 
 しかし、まあ、キリスト教ってのも「終末」がくるくる、とか言って信者を脅していた新興宗教だったわけだね。また、その反ユダヤ的な含意や啓示などの悪用によって、虐殺、戦争が起きたことを考えると物語の影響力というのはすさまじいものがあるね。

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